風そよぐ ならの小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりける ★現在も行われる「夏越(なご)しの祓(はら)い」とは?★ 百首 一覧
後鳥羽院
(じゅにいいえたか)
<1158年~1237年>
第藤原家隆(ふじわらのいえたか)は、権中納言だった藤原光隆(みつたか)の2男です。83番・藤原俊成に入門し、俊成の息子、97番・定家とは、お互いの歌を認め合うよきライバルとして、終生変わらぬ友だちでした。99番・後鳥羽院の信任が厚く、「新古今集」の撰者の一人に任じられ、従二位宮内卿(くないきょう)にまで昇進しました。生涯に6万首もの歌を詠みました。 出展 『新勅撰集』夏・192



現代語訳

 風がそよそよと楢(なら)の木の葉に吹いている、このならの小川の夕暮れは、すっかり秋の気配となっているようだが、六月祓(みなづきばらえ)のみそぎのだけが、夏であるあかしなのであるよ。
鑑 賞
  詞書に「寛喜(かんぎ)元年女御入内屏風(にょうごじゅだいのびょうぶ)に」とあります。前の関白だった藤原道家の娘、竴子(しゅんし・よしこ)が後堀河天皇の中宮となって入内した時の屏風歌です。天皇家へ嫁ぐ時は嫁入り道具として屏風を制作するのがならわしでした。屏風には宮中での年中行事が月ごとに描かれるのですが、夏の風物「六月祓(みなづきばらえ)」の絵に合わせて詠んだのがこの歌というわけです。涼しい風が神社の杜にある楢(なら)の葉をそよがせ、夕暮れのならの小川には秋の気配が感じられます。「風そよぐ」「ならの小川」「夕ぐれ」という言葉の組み合わせは、風の音と川のせせらぎという聴覚によって清涼感を表現しています。そして、下の句で「みそぎぞ夏の」と、夏の行事を強調することで、夏越しのみそぎをする人々の姿を浮かび上がらせ、神域ならではの涼味を演出しています。この歌は本歌としては「みそぎする ならの小川の 川風に 祈りぞわたる 下に絶えじと」(「古今六帖」)や「夏山の 楢の葉そよぐ 夕暮は 今年も秋の 心地こそすれ」(「後拾遺集」)がふまえられています。 
止
下の句 上の句
ことば
【風そよぐ】
 「そよぐ」は、「そよそよと音をたてる」という意味です。

【ならの小川の夕暮れは】

 「ならの小川」は、奈良市のことではなく、京都市北区の上賀茂(かみがも)神社の境内を流れている御手洗川(みたらしがわ)を指しています。さらに「なら」はブナ科の落葉樹、ナラ(楢)の木との掛詞で、「神社の杜に生える楢の木の葉に風がそよぐ」意味と、「御手洗川に涼しい秋風が吹く」という意味を掛けています。

【みそぎぞ】

 「みそぎ」は「六月祓」のこと。川の水などで身を清め、穢れを払い落とすこと。神道では、毎年旧暦の6月30日に六月祓(みなづきばらえ)=夏越の祓(なごしのはらえ)といって、その年の1月から6月までの罪や穢れを祓い落とす行事が行われました。12月30日の晦日祓(みそかばらえ)とも対応する大きな行事です。 旧暦の6月30日は、現在の暦では8月上旬にあたります。「ぞ」は強意の係助詞で、「六月祓こそが」という意味です。

【夏のしるしなりける】

 「しるし」は「証拠」や「証」といった意味です。「ける」は気づきの助動詞「けり」の連体形で、「ぞ」と係結びになっています。全体で「夏の証なのだよ」という意味になります。
●「ならの小川」は、京都市北区の上賀茂(かみがも)神社の境内を流れている御手洗川(みたらしがわ)を指しています。 ●上賀茂神社では6月30日に、年前半の穢れを落とす「六月祓」の行事が行われました。
作品トピックス
●この歌は、屏風歌として詠まれたものなので、特定の神社を想定していたかはわかりません。上賀茂神社の末社である奈良社の前を流れる御手洗川が「ならの小川」とされたのは、江戸時代中期のようです。御手洗川に吹く風を心地よく感じながら、6月の季節の行事を見ている、というさわやかな情景が描かれているとされました。
●六月祓(みなづきばらえ)は、平安時代は12月の晦日と並んで、1年の上半期の穢れをすべて川の水で洗い流してしまおうという、大きな区切りの行事です。「大晦日並み」ということを考えると、この行事のスケールが想像できます。「みそぎ」とは川や海の水などで身を清め、罪や穢(けが)れを洗い流す神事です。茅(ちがや)でできた輪をくぐらせたり、人形を水に流したりしたそうです。 
●境内に家隆の歌碑があります。現在は6月30日午後8時より上賀茂神社の「橋殿」で、宮司が氏子から託された人形を「ならの小川」に投流し祓を行います。式中に家隆の和歌が朗詠されるそうです。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では100基の歌碑めぐりを楽しめます。「風そよぐ」の歌碑は、奥野宮地区の竹林の小径沿いにあります。