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(さいぎょうほうし)
<1118年~1190年> |
俗名を佐藤義清(のりきよ)と言い、有能な北面の武士でしたが、23歳の時に妻と2人の子、職を捨てて出家し、当時の人々を驚かせました。出家後は、京都周辺を転々としながら、高野山に入って30年近く暮らした後、伊勢の二見に移住しました。また、陸奥(東北地方)や四国・中国の旅では数々の歌を詠み、漂泊の歌人として知られます。83番・俊成とは歌友として長く交際を続けました。 |
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『千載集』恋・926 |
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「嘆け」と言って、月が私をもの思いをさせるのか。いや、そうではない。恋のもの思いをまるで月のせいしたいかのように流れ落ちる、私の涙であることよ。 |
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西行法師は月と桜の花を好んで歌に詠み、僧の身ながら恋歌が多いことで知られています。この歌は「千載和歌集」の詞書に「月前恋(つきのまへのこひ)といへる心をよめる」とあり、題詠の歌です。月を一人眺めていると、自然に涙を流している自分に気づきます。この涙は恋しい人への思いゆえの涙なのに、月のせいにしてうらめしげに流れる私の涙だなあと、おさえきれない涙で恋のつらさを表現しています。天高く輝く美しい月に、手の届かない恋人へのせつない思いを託したのでしょう。「かこち顔」というのは歌語ではありません。「~顔」というのは西行法師の口癖だったらしく、気取った言葉を使わず「あたかも月のせいであるような様子の顔」と自分の感じたままを言葉にしています。下の句では「わが涙」と自分の涙を客観的にとらえ、あらためて自分の心の弱さを自嘲している響きさえ漂わせています。月と涙を題材にした恋歌は西行の特徴です。西行と親交が深かった83番・俊成(定家の父)は、この歌を「心ふかく姿をかし」と高く評価しています。 |
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【嘆けとて】
「とて」は「~と言って」という意味の格助詞で、「月が私に嘆けと言って」という意味です。月を人のように表す擬人法が使われています。
【月やはものを】
「やは」は反語を表す複合の係助詞で、下の「する」が結びです。疑問を投げかけつつ否定するという表現なので、「~するのだろうか? いやそうではない」と訳します。
【思はする】
「する」は使役の助動詞「す」の連体形で「やは」の結びです。「月が物思いにふけらせるのだろうか? いやそうではない」という意味になります。
【かこち顔なる】
「かこち顔」は「かこつ」からきた言葉で「かこつける」、つまり他人(ここでは月)のせいにする、という意味です。
【わが涙かな】
「かな」は詠嘆の終助詞です。 |
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●本歌は2首あります。23番・大江千里の「月見れば」の歌と、17番・在原業平の「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」(月は昔の月ではないのだろうか、春は昔と同じ春ではないのだろうか、私一人だけが去年のままの身で。「伊勢物語」4段)です。写真は「伊勢物語絵巻」です。 |
●歌の背景に高貴な女性との悲恋が秘められているのかもしれません。恋の相手は待賢門院璋子(たまこ)、美福門院、上西門院など諸説あります。待賢門院の死を悲しみあう80番・待賢門院堀川との贈答歌が残っています。京都市右京区にある五位山法金剛院(ほうこんごういん)は平安末期に待賢門院により再興された寺です。 |
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●この歌の本歌は2首あります。23番・大江千里の「月見れば」の歌と、17番・在原業平の「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして」(月は昔の月ではないのだろうか、春は昔と同じ春ではないのだろうか、私一人だけが去年のままの身で。「古今集」「伊勢物語」4段)です。この歌の背景に高貴な女性との悲恋が秘められているのかもしれません。恋の相手については待賢門院璋子(たまこ)、美福門院、上西門院など諸説あります。
●「かこち顔」は西行独自の表現で、他に例がありません。また、「うれし顔」「うらみ顔」「きかず顔」「心つけ顔」「月を見顔」などと詠んでいます。江戸時代、西行を尊敬していた芭蕉は、この歌の「かこち顔」を意識して、自分の句に「まこと顔」という表現を使っています。「寺にねて誠(まこと)がほなる月見哉」(寺に宿って月見をすれば、さすがに普通の月見の宴とは違い、心が澄みゆき、改まった顔つきとなるものだ。「鹿島詣」) |
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●お互いに尊敬しあい、歌友として長く交際を続けていた83番・俊成が編纂した「千載和歌集」には、俊成に次いで18首選ばれています。俊成の邸宅は現在の松原通(五条大路)にあったところから五条三位と呼ばれました。俊成を祀る俊成社は、ホテル京都ベース四条烏丸前にあります。 |
●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「なげけとて」の歌碑は、中之島公園よりさらに下流にある嵐山東公園にあります。 |
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