夏の夜は まだよひながら 明けぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ ★月は旅人?夏の夜の短さを詠んだ深養父★ 百首 一覧
清原深養父
((きよはらのふかやぶ)
<生没年未詳、10世紀前後>
「日本書紀」の編者である舎人(とねり)親王の子孫といわれています。42番・清原元輔(もとすけ)の祖父、「枕草子」の作者でもある62番・清少納言の曽祖父にあたります。「古今集」時代の有力歌人でした。平安後期に再評価され、中古三十六歌仙の一人に撰ばれました。 出展 『古今集』夏・166



現代語訳

 短い夏の夜は、まだ宵のくちだと思っているうちに明けてしまったが、月は今ごろ雲のどこのあたりに隠れて宿っているのだろうか。
鑑 賞
  詞書に「月のおもしろかりける夜、暁方(あかつきかた)に詠める」とあります。夏の夜は本当に短いもので、まだ夜になったばかりだと思っているうちに、もう午前三時を過ぎて暁方(あかつきがた:翌日)になってしまったのです。「まだ宵ながら明けぬるを」という誇張した表現が新鮮です。そして、下の句では、空に浮かぶ雲に薄れてゆく月が姿を隠したのを「雲のいづくに月宿るらむ」と表現しています。これだけ明けるのが早いと、月は西の山の端まで帰ることはできないだろう。空の雲のどのあたりに宿をとったのだろうかと、空を行く旅人に見立てて月を擬人化して、疑問をなげかけています。ユニークな発想で、夏の夜の終わりを惜しむ気持ちを巧みに表現しています。美しい月を眺めて一晩中過ごす平安時代の貴族たちの風流な生活がしのばれます。
止
下の句 上の句
ことば
【夏の夜は】
 助詞「は」は、他と区別する意味があるので「夏の夜というものは」というような区別した意味になります。

【まだ宵(よひ)ながら】

「宵(よひ)」は日没からしばらくの間で、夏なら午後7時から9時くらいの間です。「ながら」は「~のままの状態で」という意味で、「まだ宵のままでいるうちに」というような意味になります。

【明けぬるを】

 「明けたのだが」という意味で、「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形です。接続助詞「を」は順接となり、「~ので」という意味で次の句につながります。

【雲のいづこに】
 「いづこ」は、「どこに?」という意味になります。
【月宿(やど)るらむ】

 助動詞「らむ」は、現在の状態の推量で、「今は見えないが今ごろ~しているだろう」と思っている意味になります。月は、十六夜(いざよい)の月より後のもので、夜が明けても沈まず空に残っています。そこで、「どの雲に隠れているのか」という推量を、擬人法で「どの雲に宿をとっているのだ」と表現しています。
●深養父は空をながめて空想するのが好きだったようです。雪が降った時には、冬なのに花が降ってくるのは「雲のあなたは春にやあるらむ」(雲の向こうはもう春なのではなかろうか)と表現しています。 ●62番・清少納言の「枕草子」に「夏は夜。月のころはさらなり」とあるのは、曾祖父の感性を受け継いでいるのでしょうか。
作品トピックス
●「夏の夜」といえば「短い」というイメージがあり、月の明かりをたよりに生活していた昔の人々は夜と昼の長さの変化に敏感だったようです。35番・紀貫之の歌にも「夏の夜の 臥(ふ)すかとすれば ほととぎす 鳴くひとこゑに 明くるしののめ」(夏の夜は短く、横になったかと思うとすぐに、ほととぎすの一声とともに、明け方になってしまいます。「古今集」)があります。また、62番・清少納言の「枕草子」に「夏は夜。月のころはさらなり」とあるのは、曾祖父の感性を受け継いでいるのでしょうか。
●深養父の「夏の夜は」の歌は広く知られた歌であったようで、「新古今集」時代には多くの本歌取りの歌が詠まれました。「宵ながら 雲のいづこと をしまれし 月をながしと 恋つつぞぬる」は97番・定家の本歌取り歌です。江戸時代にはこの歌をもじった狂歌も生まれています。「夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 腹のいづこに 酒やどるらん」
●夜は夕→宵→夜→夜更(よふけ)→暁(あかつき)→曙(あけぼの)→朝の順に進んでいきます。いつきに夜が過ぎ去った感じをおおげさに表現しています。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「夏の夜は」の歌碑は、亀山公園にあります