立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる  まつとしきかば 今かへり来む ★都から因幡国(いなばのくに)へ―行平の別れのあいさつ★ 百首 一覧
天智天皇
(ちゅなごんゆきひら)
<818年~893年>
平城(へいぜい)天皇の皇子・阿保(あぼ)親王の子。在原の姓を賜り、臣籍に下りました。17番・業平の異母兄にあたり、不遇な弟業平とは対照的に有能な政治家として活躍しました。また、現存する最古の歌合「在民部卿家(ざいみんぶのきょうけ)歌合」を主催しています。文徳天皇の御代に過失をおかして一時期須磨(すま)に流されていたようですが、正史には記録がありません。 出展 「古今集」離別・365



現代語訳

 お別れして因幡(いなば)の国へ行く私ですが、その因幡の稲羽山の峰に生えている松の名のように、あなた方が私の帰りを「待つ」というのを聞いたならば、すぐにでも帰ってきましょう。
鑑 賞
 855年の正月15日、行平が38歳の時、因幡守(いなばのかみ:地方長官)に任ぜられ、赴任地へ向かうときに、送別の宴で詠んだ別れのあいさつの歌です。「お別れですが、因幡国・稲羽の山に生える松のように『待っている』と言われたならば、すぐにでも帰ってきましょう。」都から遠く離れた地方都市へ赴任する自分の身を思い、都への断ちがたい思いを詠んだ歌です。国司の任期は4年か5年でした。この歌のポイントは「いなば」と「まつ」という二つの掛詞の巧みさにあります。「往(い)なば」に任国の「因幡(いなば)」をかけ、そこから任地の「稲羽山の峰に立つ松」の風景を導き出して、さらに「松」に「待つ」の意味をもたせています。物寂しい風景が、遠い任地へ旅立つ心細さを象徴しています。
止
下の句 上の句
ことば
【たち別れ】
「たち」は接頭語。行平は855年に因幡(いなば)国(現在の鳥取県東部)の守となり、その赴任のための別れを表しています。
【いなばの山】 因幡の国庁近くにある稲羽山のこと。「往なば(行ってしまったならの意味)」と掛詞になっています。
【生(お)ふる】
動詞「生ふ」の連体形。生える、という意味です。
【まつとし聞かば】
「まつ」は「松」と「待つ」の掛詞。「し」は強調の副助詞、「聞かば」は仮定を表します。全体では「待っていると聞いたならば」の意味となります。
【今帰り来む】
「今」は「すぐに」を意味しており、「む」は意志の助動詞。「すぐに帰ってくるよ」という意味です。
●因幡の国庁は、現在の鳥取県岩美郡国府町にあります。稲葉山(標高249m)までの登山コースがあり、「宇倍神社」や、宮下古墳群を通り、最後に在原行平の塚に到達します。 ●「古今集」の歌にまつわる伝承をもとにした謡曲「松風」から「松風村雨堂」(神戸市須磨区)が生まれました。須磨に流された行平は、村長の娘・松風と村雨を愛しましたが、やがて都に戻ります。2人は行平を慕い続け、幸福を祈ったと伝わっています。それにちなんで行平町、松風町、村雨町の地名が残っています。
作品トピックス
●「立ち別れ」の歌は、因幡に赴任する際の別れのあいさつの歌か、任期を終えて因幡から帰京する時の歌かの説があります。定家はこの歌を本歌取りして「これもまた 忘れじものを 立ち返り 因幡の山の 秋の夕暮」(「拾遺愚草」)、「忘れなん 待つとな告げそ なかなかに 因幡の山の 峰の秋風」(「新古今集」)と詠んでいます。これによると、定家は行平の歌を因幡で詠まれた歌と解釈していたようです。
●能「松風」(観阿弥作、世阿弥改)には須磨で謹慎(きんしん)していた行平と、海女(あま)の姉妹松風と村雨のロマンスが描かれています。3年ほどで行平が京に戻ると、悲しみのあまり2人は亡くなります。後に須磨を訪れた僧の前で、行平が残した形見の烏帽子(えぼし)と狩衣(かりぎぬ)をまとい、行平をしのんで舞うという内容です。「立ち別れ」の歌は、2人と別れる時に詠んだ歌とされています。「撰集抄」には、須磨にある時、淡路島の歌枕である絵島で、海にもぐり魚介をとる海女(あま)に心ひかれたという話があり、それをもとにして伝説に発展したようです。
●「源氏物語」須磨の巻には、源氏がたどり着いた須磨について「おはすべき所は、行平の中納言の、藻塩たれつつわびける家居近きわたりなりけり」(お住まいになるはずの所は、行平の中納言が『藻塩たれつつわび』たという住まいの近くなのであった。)と行平の名前と歌が引用されています。
●「立ち別れ」の歌の下の句を紙に書いてはっておくと、失くし物や出て行った猫が帰って来るというまじないがあったそうです。内田百閒の「ノラや」という連作エッセイにいなくなった愛猫、ノラが戻って来るように、夕刊の広告にこの歌を赤色で刷り込むシーンがあります。
●「松風村雨堂」の碑の側面に「立ち別れ」の歌が刻まれています。京に戻る行平が、2人に別れを告げた歌とされています。「いなば山」を須磨離宮公園付近の稲葉山(=月見山)とする説もあります。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「立ち別れ」の歌碑は、亀山公園にあります。