あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな ★冷たい女性に思いを伝えるには?-太政大臣の恋の駆け引き★ 百首 一覧
謙徳公
(けんとくこう)
<924年~972年>
藤原伊尹(ふじわらのこれまさ・これただ)で、「謙徳公」は諡(おくりな)です。26番・藤原忠平の孫で右大臣師輔(もろすけ)の長男です。摂政・太政大臣にまで昇進した、当時の最高権力者です。歌人としてだけでなく、勅撰和歌集編纂という大事業にも貢献しました。和歌所の別当(べっとう:長官)に任じられると、梨壺の5人を率いて、「万葉集」の訓読と「後撰集」の選定に関わりました。  出展 『拾遺集』恋五・950



現代語訳

 私のことをかわいそうにとあわれんでくれるはずの人も思い浮かばないまま、私はあなたに恋こがれながらむなしく死んでしまいそうです。
鑑 賞
  詞書には「もの言ひはべりける女の、つれなくはべりて、さらに逢はずはべりけれ」とあり、言い寄った女性がだんだん冷たくなって逢ってもくれなくなったから詠んだそうです。「あはれともいふべき人」つまり、「自分のことを分かってくれて、同情も愛情も寄せてくれる人」が思い浮かばないと言っていますが、その言外に、あなたしかいない、あなたに捨てられたら私にはもう誰もいないのだという思いをこめ、下の句では恋い焦がれながら、むなしく死んでしまうだろうと歌っています。恋人の心変わりを嘆き、孤独な思いを訴えることで、何とかふりむいてほしいという切迫した気持ちが伝わってきます。政界の大物で、この世に思い通りにならないものはない伊尹でも、恋の道だけはどうすることもできなかったということでしょうか。貴族男性の多くは恋愛が自由奔放(ほんぽう)で、次から次へと女性と関係を持つことが「みやび」であるという考えがありました。冷たくされた女性への執着を詠むことで、男性の真心を伝えようとしています。
止
下の句 上の句
ことば
【あはれとも】
 「あはれ」は「かわいそう」「気の毒に」などの意味の感動詞。「とも」の「も」は強調の係助詞です。
【いふべき人は】
 全体で「言ってくれそうな最愛の人は」という意味です。「べき」は当然の意味の助動詞「べし」の連体形で、「人」は「最愛の人」のことを意味します。
【思ほえで】
 「思ほえ」は下二段活用動詞「思ほゆ」の未然形で「思い浮かぶ」の意味、「で」は打消の接続助詞で「思い浮かばず」という意味になります。
【身のいたづらに】
 「いたづら」は「はかない」とか「無駄(むだ)だ」という意味で、「身を無駄にする」→「死ぬ」ことを意味します。しかも、恋のために相手を思いすぎてむなしく死んでしまうことをいっています。平安後期からは「人が迷惑するような、何も役にも立たないこと」を表すようになり、「悪さ」「悪ふざけ」といった意味で用いられるようになりました。
【なりぬべきかな】
 「ぬ」は完了の助動詞で、「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形であり、「ぬべき」には強い意志がこめられています。全体で「なってしまうのだろうなあ」という意味になります。
●伊尹が別当(べっとう:長官)に任じられた和歌所・梨壺(なしつぼ)は、平安宮内裏の「昭陽舎(しょうようしゃ)」のことで、庭に梨が植えられていたため「梨壺」と呼ばれました。 ●和歌所の梨壺の5人を率いて、「万葉集」の訓読と「後撰集」の選定に関わりました。
作品トピックス
●家集である「一条摂政御集(いちじょうせっしょうぎょしゅう)」は、伊尹の死後、縁者が編纂したもののようです。前半部分は「大蔵史生倉橋豊蔭(おおくらししょうくらはしのとよかげ)」という架空の下級役人に自分を託して、女性との恋愛の贈答歌を歌物語のように記しています。和歌だけでなく物語作家としての才能もあったことが知られます。その冒頭に「あはれとも」の歌が収められています。
●詞書には「いひかはしける程の人は、豊蔭にことならぬ女なりけれど、年月を経て、返りごとをせざりければ、負けじと思ひていひける」とあり、相手の女性に手紙を出しても返事がなかったので、負けまいと思って言ってやったとあります。「何を今さら、かわいそうなどと誰が言うでしょうか。」という意味の女性からの返歌も収められています。家集の後半部分は、伊尹の贈答歌150首ほどが収められています。 
●嵯峨嵐山文華館には伊尹の歌と人形が展示されています。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「あはれとも」の歌碑は、亀山公園にあります。