今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな ★「今すぐ行くよ」の一言のせいで…素性法師が詠んだ女心とは?★ 百首 一覧
藤原敏行朝臣
(そせいほうし)
<生没年不明>
俗名・良岑玄利(よしみねのはるとし)。900年前後に活躍した人で、12番・僧正遍昭(良岑宗貞:よしみねのむねさだ)の子。別当に任ぜられた洛北の雲林院(うりんいん)は、和歌・漢詩の会の催しの場として知られました。三十六歌仙の一人として、数々の屏風歌や歌合で活躍した「古今集」の有力歌人です。 出展 「古今集」恋4 ・ 691



現代語訳

 「今すぐに行くよ」とあなたが言ったものだから、私は9月の夜長をひたすら待ちつづけて、有明の月が出てしまったことです。
鑑 賞
 
現代風に訳すると、こうなるでしょうか。「あの人は『すぐ行きます、待っててくださいね』なんて言ったのに、私は待ちぼうけ。眠らずに待ってたら、出てきたのは明け方の月だけ。男が女のもとから帰っていく時刻じゃないの。結局、月を待って夜を過ごしてしまったわ。私っていったい何なんだろう…。」百人一首ではおなじみの恋に身をこがす歌の一つです。「寛平御時后宮歌合」に出された恋の題詠です。素性法師は、男の約束を信じて、ひたすら待つ女性の立場になりきって詠んだわけです。「待ち出で」は、月が出るのを待つだけでなく、女性自身も簾子(すのこ:月が見える濡れ縁)に出て男性を待っている姿が想像できます。一夜を待ち明かした寂しさを表現したと考えるのが一般的ですが、97番・定家は、「月来(つきごろ)」説を唱えました。春夏の頃から毎夜待ち暮らしているうちに、とうとう9月(新暦では10月末か11月)の有明の月を見てしまった、秋の3か月の間と解釈したのです。こうなると歌の内容はぐっと重くなります。
止
下の句 上の句
ことば
【今来むと】
「今」は「すぐに」の意味で、「む」は意志を表す助動詞です。「来る」は、恋人(男)の訪れを待つ女性側を中心にして、そこに男性が近付くことですので、「すぐに行くよ」と訳してもかまいません。

【言ひしばかりに】

「し」は過去の助動詞「き」の連体形で、「ばかり」は限定の助動詞です。全体で「(男がすぐ行くと)言ってよこしたばかりに」 という意味を表します。

【長月】
 陰暦の9月で、夜が長い晩秋の頃です。
【有明の月】

夜更けに昇ってきて、夜明けまで空に残っている月のこと。満月を過ぎた十六夜以降の月です(20日以降の例が多い)。

【待ち出でつるかな】

「待ち出づ」は「待っていて出会う」という意味で、それに完了の助動詞「つる」の連体形と詠嘆の終助詞「かな」がついています。「待ち」は自分が待っていることで、「出で」は月が出てきたことを示します。男が来るのを待っているうちに月が出てしまったことをまとめて言った表現です。
●山科にある元慶寺(がんぎょうじ:花山寺)は、父の12番・遍昭が陽成天皇の誕生に際して発願し創建した寺です。
●境内には父・遍昭の「あまつ風」の歌碑と、息子・素性の「今来むと」の歌碑が並んで立っています。
作品トピックス
●「今来む」は、一夜をともにした翌朝、男が帰りがけに女に告げる決まり文句のようなものです。53番・道綱母の「蜻蛉日記」にも出てきます。夫の兼家が帰りがけには必ず「今来む(近いうちに来るよ)」と言うのを聞き覚えて、幼い道綱がしきりに「今来む」と口真似をしたというのです。「今来むと」の歌は、父の12番・遍照の次の歌をもとに詠まれています。「今来むと いひて別れし 朝(あした)より 思ひ暮らしの ねをのみぞなく」(「すぐ来るよ」と言って別れた日の朝からすぐに思い続けて、蜩(ひぐらし)の鳴く今まで泣いてばかりいるのです。「古今集」)第4句の「思ひ暮らしの」の中に「蜩(ひぐらし)」の文字を織りこんでいます。
●どれくらいの時間待っていたについては「一夜説」と「月来説(数か月)」の2説あります。定家は「今来むといひし人を月来(つきごろ)まつ程に、秋もくれ月さへ在明になりぬぞとよみ侍りけん。こよひばかりはなほ心づくしならずや」と述べています。 
●有明の月は夜更けに昇ってきて、夜明けまで空に残っている月のこと。満月を過ぎた十六夜以降の月です。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「今来むと」の歌碑は、 亀山公園にあります。