あらし吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の にしきなりけり ★紅葉の美しさをどう表現する?-能因法師、歌への情熱★ 百首 一覧
能因法師
(のういんほうし)
<988年~1050年頃>
長門守(ながとのかみ)橘元愷(たちばなのもとやす)の息子で、俗名は永愷(ながやす)といいました。26歳の時出家し、摂津国(せっつのくに:兵庫県)の古曾部(こそべ:今の大阪府高槻市)に住んだので「古曾部入道」とも呼ばれましたが、寺院に定住せず、諸国を旅して歌を詠むわが国初の漂泊の歌人として、東北や中国地方、四国などを旅しています。 出展 『後拾遺集』秋・366



現代語訳

 嵐が吹き散らす三室山(みむろやま)の紅葉の葉は、竜田川の水面を彩って、錦に染めあげるものであったのだなあ。
鑑 賞
  この歌は、1049(永承4)年の11月に後冷泉天皇が開いた内裏歌合で、「紅葉」という題詠による歌です。藤原祐家の「散りまがふ 嵐の山の もみぢ葉は ふもとの里の 秋にざりける」という歌と競って勝った歌です。三室山と竜田川、どちらも紅葉の名所として有名な歌枕です。山と川を両方とも歌に詠みこみ、激しい山風のために散ってしまった三室山の紅葉は、実は竜田川の錦を織り上げるために散ったのだ、そのことに今はじめて気が付いたという趣向で詠まれており、今までない発想のおもしろさが感じられます。上の句では激しい風で散る紅葉の動的な美しさを、下の句では川面に浮かぶ紅葉の静的な美しさを対照的に詠みあげており、山から川へ散りゆく紅葉を追うような視点の移動も見事です。「古今集」よみ人知らずの歌「竜田川 もみぢ葉流る 神なびの 三室の山に 時雨ふるらし」をふまえたものです。
止
下の句 上の句
ことば
【嵐吹く】
 
「嵐」は山から吹き下ろす強い風のことを表します。
【三室(みむろ)の山のもみぢ葉は】
 大和国(現在の奈良県生駒郡斑鳩町)にあった神奈備山(かむなびやま)のことで「三諸(みもろ)の山」とも言います。神奈備山は現在でも紅葉の名所です。
【竜田の川の】
 大和国(現在の奈良県生駒郡)を流れる川で、三室山の東のふもとを通って大和川に合流します。
【錦なりけり】
 「なり」は断定の助動詞「なり」の連用形、「けり」は詠嘆の助動詞「けり」の終止形で、美しさにはじめて気づいた感動を表します。錦は金銀など五色の色糸を使って模様を描き出した華やかな織物です。
●この歌の舞台になった龍田川周辺は、奈良県生駒郡斑鳩町にある紅葉の名所です。現在も多くの人が紅葉狩りに訪れています。 三室山麓に至る公園入口の石垣に「あらし吹く」の歌碑があります。
作品トピックス
●竜田山は、最初から紅葉の名所ではなく、平安歌人によって歌枕化された名所として評価されました。竜田が「裁つ」の掛詞になることで、紅葉の「錦」や「染む」と織物の縁語でつながるからです。
●また、川の紅葉も「万葉集」では明日香川が名所でしたが、竜田山の紅葉が歌枕として確立すると、山の紅葉が散って川に流れてくる織物のようなイメージとして詠まれるようになりました。江戸時代になって竜田川を紅葉の名所にする運動が起こり、ついに岸辺に紅葉が植えられたそうです。
●三室山は、竜田公園内にある標高82mの小山で「神の鎮座する山」とされ、別名、神南備山(かんなびやま)といいます。三室山から竜田川を見下ろした写真です。 ●三室山山頂の五輪塔は能因の供養塔です。言い伝えによると、能因は神南集落の三室堂に住んでいて、しばしば三室山へ遊びに来ていたそうです。