心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる 白菊の花 ★庭一面の白い世界、美を表すテクニックとは?★  百首 一覧
中納言兼輔
(おおしこうちのみつね)
<生没年不詳>
9~10世紀初頭にかけて生きた人で、家系など詳しいことは不明です。下級役人でしたが、歌才には優れ、900年前後に活躍しました。35番・紀貫之と並ぶ当時の代表的歌人で、三十六歌仙の一人です。「古今集」の4人の撰者の中の一人です。貫之とともに中国の漢詩「からうた」に対して和歌「やまとうた」の確立をめざしました。 出展 『古今集』秋下 ・ 277



現代語訳

 あて推量に、もし折るなら折りとってみようか。真っ白な初霜が降りて霜か花か見分けがつかなくなっている白菊の花を。
鑑 賞 
 霜の降る朝の凛とした寒気、白菊の可憐な白さと、誰も手をふれていない初霜の白さが描写されています。庭に初霜が一面に降りていて、白菊の花を折ろうと思っても見分けがつかないというおおげさな表現によって、「純白」の世界が頭に広がり、幻想的な美しさが伝わってきます。「初」というのは清らかさがイメージされる表現ですが、倒置法にしたことで、最後の「白菊の花」に焦点がしぼられるように組み立てられています。菊は中国から奈良時代に輸入された薬用の花で、宮中や貴族の庭に植えられる貴重な花でした。色はほとんどが白か黄色で、大輪の花ではなく小菊でした。日本人は平安初期にまず菊の漢詩を詠むようになり、「古今集」以後和歌に詠まれるようになりました。「菊」は斬新な素材だったわけです。
止
下の句 上の句
ことば
【心あてに】 
「あて推量に」「あてずっぽうに」などの意味です。
【折らばや折らむ】 
「折らば」は四段活用動詞「折る」の未然形に接続助詞「ば」がついたもので仮定条件を表します。「や」は疑問の係助詞です。「む」は意志の助動詞で上の「や」と係り結びになっています。全体では「もしも折るというなら折ってみようか」という意味です。
【初霜】 
その年はじめて降りる霜のことです。晩秋に降ります。
【置きまどはせる】 
「置く」は、「(霜が)降りる」という意味です。「まどはす」は、「まぎらわしくする」という意味で、白菊の上に白い霜が降りて、白菊と見分けにくくなっている、という意味を表します。
【白菊の花】 
上の句の「折らばや」に続く、倒置法になっています。
●菊は中国から奈良時代に輸入された薬用の花で、宮中や貴族の庭に植えられる貴重な花でした。色はほとんどが白か黄色で、大輪の花ではなく小菊でした。 ●晩秋の初霜が降りた風景です。。
作品トピックス
●「心あてに」の歌は、明治時代の俳人・正岡子規が「五たび歌よみに与ふる書」の中で、「初霜が降りたくらいで白菊が見えなくなるわけではない。これは嘘(うそ)の趣向である」と批判しています。写生を重んじた子規の立場からすれば大げさな表現かもしれませんが、幻想的な発想と、観念で創り上げた世界こそ王朝歌人の美学でした。躬恒は知的で思索的な歌を得意とする歌人として、「古今集」に撰入されてから中世にいたるまで高く評価されていました。誇張することで、霜と白菊の透き通るような白を印象づけることに成功しています。同じような見立ての歌として「躬恒集」に、「月影に 色わきがたき白菊は 折りても折らぬ 心地こそすれ」、「いづれをか 分けきて折らまし 梅の花 枝もたわわに 降れる白雪」があります。
●「源氏物語」夕顔の巻、源氏に詠みかける夕顔の歌「心あてにこそれかとぞみる 白露の 光そへたる 夕顔の花」は躬恒の歌の発想が感じられます。「栄花物語」にも引用されるなど、「心あてに」の歌は、当時から名声が高かった歌です。 
●仁徳天皇陵付近の近親水公園にある鉄製の柵にも「心あてに」の歌碑があります。(大阪府堺市大仙町南七仁徳天皇陵 西側)
●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「心あてに」の歌碑は、亀山公園にあります。