音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ ★浮気な男に恋して泣くのはいや!-恋愛のベテラン紀伊★ 百首 一覧
祐子内親王家紀伊
(ゆうしないしんのうけのきい)
<11世紀後半、生没年未詳>
平経方(たいらのつねかた)の娘で、夫は紀伊守を務めて出家した素意法師(そいほうし:俗名は藤原重経(しげつね))の妻または妹という説があります。紀伊の名前は、藤原重経が紀伊守だったところからきています。平安時代後半に活躍した女流歌人です。「堀河百首」の16人の作者の中の一人に選ばれました。 出展 『金葉集』恋下・469



現代語訳

 うわさに名高い、高師(たかし)の浜のあだ波は身にかからぬようにしておきましょう。袖が濡れては大変ですから。(浮気者だとうわさに高い、あなたの誘いは心にかけないでおきましょう。涙で袖が濡れては大変ですから。)
鑑 賞
  「金葉集」の詞書では、この歌は康和4年(1102)5月に催された「堀川院艶書合」で詠まれました。「艶書合(えんじょあわせ)」というのは、男女が左右に分かれ歌の優劣を競い合うもので、男が恋の歌を女に贈り、それを受けた女が返し、また女から男に歌を贈り、男が返歌するという趣向の歌合です。70歳の紀伊に贈られたのは、29歳の藤原俊忠(としただ:定家の祖父)の歌でした。「人知れぬ 思いありその 浦風に 波のよるこそ 言はまほしけれ(人知れずあなたを思っていました。荒磯(ありそ)の浦風によって渚に寄る波のように、今夜こそあなたを訪ね思いをうちあけたいのですが)と、掛詞と縁語を巧みに使った俊忠の歌に対して、紀伊も掛詞と縁語で応じます。男の浮気な心を「あだ波」にたとえ、あなたの誘いにうっかり乗って恋の涙にぬれて嘆く女にはなりませんよとやりかえします。歌枕の「有磯(ありそ)の浦」に対して「高師の浜」と同じ海の歌枕で応じ、2つの掛詞「あり」「より」に対して「高し」「かけ」、さらに縁語の「浦、波、寄る」に対しては、「浜、波、濡れ」で答え、やんわりと誘いを拒む情感のあふれた歌になっています。
止
下の句 上の句
ことば
【音に聞く】
 
「音」はここでは「評判」のことで、「噂に名高い」という意味です。
【高師(たかし)の浜】
 和泉国(現在の大阪府南部の堺市浜寺から高石市あたりの一帯)の浜です。ここでは「高師」に「高し」を掛けた掛詞とし、「評判が高い」を意味させています。また「浜」は、「波」「ぬれ」の縁語です。
【あだ波】
 いたずらに立つ波、むなしく寄せ返す波のことですが、ここでは浮気な人の誘い言葉のことを暗に言っています。
【かけじや】

 「かけまい」の意味で、「波をかけまい」と「想いをかけまい」の二重の意味を込めています。「じ」は打消の意思の助動詞で、「や」は詠嘆の間投助詞です。

【袖のぬれもこそすれ】
 「袖が濡れる」というのは、涙を流して袖が濡れるという意味があり、恋愛の歌でよく使われます。恋する想いが嵩じて涙を流すということですね。ここでは、波で袖が濡れるのと、涙で袖が濡れることを掛けています。「も・こそ」はそれぞれ係助詞で、複合すると後で起きることへの不安を意味します。
●和泉国高師浜は、今の大阪府堺市浜寺から高石市高師浜町におよぶ大阪湾の浜辺です。現在では埋め立てが進み、巨大な臨海工業地帯の一部として工場が立ち並び、平安の風雅をしのぶ風情はありません。※現在の浜寺公園海岸 ●南海線の高師浜駅近くにある高石神社です。昔、この神社の西には白砂青松の海浜が広がっていました。
作品トピックス
●この歌は「堀河院艶書合」で詠まれました。堀河院は、在位中に、公卿(くぎょう)・殿上人と女房に、架空の艶書(えんしょ:恋歌)を提出させて組み合わせる文学遊戯を企画しました。康和4年(1102)に内裏で行われました。「艶書合(えんじょあわせ)」は、「懸想文合(けそうぶみあわせ)」ともいわれます。貴族の男性たちが恋の歌を女房に贈り、それを受けた女房たちが歌を返すというしゃれた歌会でした。歌合は2日にわたって行われ、1日目(5月2日)には男性からの求愛の歌と女性の返歌20首、2日目(5月7日)には、女性のうらみの歌と男性の返歌20首が披露されました。紀伊は70歳のベテラン歌人でしたが、みずみずしい情感にあふれる歌を詠み、和歌は年齢や立場を超え、イメージ豊かに創作できることを証明しました。
●高師浜の松林は江戸時代の新田開発、明治時代の宅地化で伐採されそうになりましたが、この地を訪れた大久保利通が約850本まで減少した松を嘆いて、紀伊の歌を本歌取りとして「音に聞く 高師浜の はま松も 世のあだ浪は のがれざりけり」を詠みました。そのお蔭で、伐採は中止となり、現在も松林は残っています。
●紀伊の歌が有名になり、「高師の浜」は音に聞く高い波ということから、変わりやすい人の心とか、恋の浮名の立つ意味を詠むようになりました。定家の歌に「あだ波の 高師の浜の 磯馴松(そなれまつ)なれずはかけて わが恋ひめやも」(「続古今集」)があります。
●高石神社の境内に紀伊の歌碑があります。 ●紀伊の本歌取りの歌を詠んだ大久保利通の惜松碑が浜寺公園にあります。「名松100選」の美しい松林を誇る白砂青松の面影を残しています。※惜松碑案内板と石碑