月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ  わが身ひとつの 秋にはあらねど ★ちぢ(千々)と対比するものは?-漢詩を和歌に活かして★ 百首 一覧
大江千里
(おおえちさと)
<生没年不詳
大江家は、24番・菅原道真の菅家(かんけ)とならぶ学者の家系として知られ、寛平・延喜(889~923年)頃に漢詩人として活躍しました。宇多天皇の勅命により、「白氏文集(はくしもんじゅう:白楽天の漢詩文集)」の詩句を和歌に作りかえた家集「大江千里集」(別名「句題和歌」)は、「古今集」の先駆けといわれています。 出展 「古今集」秋上 ・ 193



現代語訳

 月を見ると、あれこれと限りなく物事が悲しく感じられる。私一人のためにやって来た秋ではないのになあ。
鑑 賞
 
秋の名月を見ていると、いろいろな想いが心に浮かび、悲しみがあふれてくる。秋が私一人だけに訪れたわけではないのだけれど。「秋は悲しい」という感覚が平安時代に一般化したようで、その代表的な歌といえるでしょう。「千々に乱れる」という言葉は現在でも使いますが、たくさんの数を表す「千」と「我が身一つの」の「一」を対比させた和歌です。是貞親王の歌合の時に秋の題詠で歌われたものです。この歌は、白楽天の「燕子楼(えんしろう)」という漢詩の結句 「燕子楼中霜月夜(えんしろうちゅうそうげつのよる) 秋来只為一人長(あききたってただひとりのためにながし)」をふまえています。中国徐州の役人であった張氏の死後、その愛人が、長年どこにも嫁がず、燕子楼で一人暮らしていましたが、月の美しい秋寒の夜「残された私一人のために、こうも秋の夜は長いのだろうか。」と夫のいない寂しさを嘆いた詩です。この詩から着想を得て作られた和歌なのです。
止
下の句 上の句
ことば
【月みれば】
「月を見ると」という意味。「みれば」は確定条件を表します。

【ちぢにものこそ悲しけれ】

「ちぢ(千々)に」は「さまざまに」だとか「際限なく」という意味で、下の句の「一つ」と対をなす言葉です。「もの」は「自分をとりまくさまざまな物事」ということです。「悲しけれ」は係助詞「こそ」を結ぶ形容詞の已然形です。物悲し、を強めた言い方です。

【わが身一つの】

「私一人だけの」という意味で、本来なら「一人の」ですが、上の句の「千々に」と対比させて、「ひとつ」になっています。

【秋にはあらねど】

秋ではないけれども、という意味。上の句と下の句で倒置法が使われています。「ね」は打消の助動詞「ず」の已然形で、「ど」は逆接の接続助詞です。
●「月見れば」の歌は、白楽天(はくらくてん:白居易)の漢詩をふまえています。白居易の詩は中国国内だけでなく、日本や朝鮮の人々にも愛され、平安文学にも影響を与えました。 ●白居易は74歳のとき自らの詩文集「白氏文集」を完成させました。日本には遣唐使が持ってきた手書き本を書写して受け継いだ本が現在まで残っています。京都国立博物館や金沢文庫のものがよく知られています。
作品トピックス
●漢詩を和歌に改作することが宇多天皇歌壇で流行しました。漢詩文の才能があった千里の得意技でした。この歌はその代表作です。単に漢詩を和歌に直しただけでなく、漢詩の技法である対句も使っています。「月」と「わが身」・「千」と「一」です。また17番・在原業平の「月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ 我が身ひとつは もとの身にして」(月は昔の月ではないのだろうか、春は昔と同じ春ではないのだろうか、私一人だけが去年のままの身で。「古今集」)も参考にして、悲しみを表現しています。
●千里の「月見れば」の歌は上田秋成「雨月(うげつ)物語」の「吉備津(きびつ)の釜(かま)」にも引用されています。愛人を病で亡くした主人公が、その墓に詣でて「この秋のわびしきはわが身ひとつぞ(この秋のわびしさがこんなに身にしみるのは自分だけだ)」と嘆き悲しむ場面です。
●漢詩「燕子楼(えんしろう)」の舞台は、中国の徐州です。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「月見れば」の歌碑は、亀山公園にあります。