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(りょうぜんほうし)
<998年~1064年頃> |
父親は分かりませんが(一説には比叡山の僧)、母親は藤原実方の家の童女(めのわらべ:召し使い)白菊だとされています。比叡山の僧侶で、祇園社(ぎおんしゃ:京都の八坂神社)の別当を経て、京の洛北・大原の里に庵を結び、晩年は雲林院(うりんいん)に住んだといわれています。 |
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『後拾遺集』秋・333 |
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あまりの寂しさに耐えかねて、庵を出てあたりを眺めてみると、どこも同じように寂しい秋の夕暮れであるよ。 |
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「後拾遺集」にある「題不知(だいしらず)」の歌です。良暹法師は比叡山・祇園別当を経て、大原に庵をかまえて隠棲していた時期があります。「詞花集」には大原に住み始めた頃の歌が何首かあるので、この歌もその頃詠まれたものかもしれません。修行の場とはいえ、僧侶が数千人もいた比叡山から、話を交わす友はおろか、誰も見かけない山里での一人暮らし。僧侶といえども寂しさはつのるばかりです。思わず庵から外へ出てみても、同じように寂しい風景が広がっているだけです。「いづくも同じ」という表現に、自分の内面の寂しさを見つめる作者の姿が浮かんできます。寂しさは必ずしも苦痛や悲しみではなく、あえてそこに身をおくことで受け入れ、味わおうとする心で詠まれています。結句を「秋の夕暮」と体言止めにする手法も、しみじみとした趣を引き出しています。「新古今集」では、こうした枯れゆくような寂寥感(せきりょうかん)を美しいとする感覚が大切にされました。 |
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【寂しさに】
平安時代の「寂しさ」は、秋や冬の寂寞とした感じを表します。特に一人住まいや無人の荒れ果てた家や野山など、あまり人がいない場所の寂しさを示しています。格助詞「に」は原因や理由を表し、全体で「さびしさのせいで」という意味になります。
【宿を立ち出でて】
この場合の「宿」は自分が住んでいる庵のことです。「庵を出て」という意味になります。
【眺むれば】
下二段動詞「眺む」は、単に眺めているだけではなく、「いろいろな思いにふけりながらじっと長い間見ている」というニュアンスがあります。「眺む」の已然形に接続助詞「ば」がつき、順接の確定条件を表します。
【いづこも同じ秋の夕暮れ】
「どこも同じように寂しい秋の夕暮れがひろがっていた」という意味です。「同じ」は形容詞の連体形の特殊な形です。最後の体言止めの「秋の夕暮れ」は、定家の編纂した「新古今集」の時代に流行した結句(むすびのことば)でした。 |
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●「朧(おぼろ)の清水」は寂光院と三千院を結ぶ細い道の脇にある湧き水で、石碑が建っています。「朧(おぼろ)の清水」を詠んだ歌があるので、その近くに庵があったのではないかとと思われます。 |
●良暹法師が庵を結んだ洛北の大原は、平安朝廷の馬を飼育する牧場があり、都に炭を供給する山里でした。「朧の清水」から眺めた大原の里です。 |
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●平安時代前期から後期に向かうにつれて、法師の遁世(とんせい:俗世を避けて静かな生活に入ること)の意識が強くなっていきます。47番・恵慶法師や69番・能因法師は文化人として俗世との交流もありましたが、11世紀前半に活躍したとされる良暹法師になると、京の町から離れた大原での孤独な生活を自ら選んでいるようです。
●「後拾遺集」には藤原国房が良暹法師に贈った歌があります。詞書に「良暹法師のもとにつかはしける」として「思ひやる 心さへこそ 寂しけれ 大原山の秋の夕暮」(大原山の秋の夕暮は、はるかに思いやる私の心さえさびしくなります。)とあります。
●「枕草子」初段の「秋は夕暮」の流行によるものかもしれませんが、良暹法師の歌は、秋の夕暮れの寂しさを定着させる役割を果たしました。この後、「秋の夕暮れ」は「新古今集」で盛んに詠まれるようになっていきます。王朝の華麗な美の世界から、「わび・さび」へと美意識が変化していくきざしを感じさせます。 |
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●「金葉和歌集」を編んだ74番・源俊頼は、大原に出かけ、良暹法師の庵の前を通り過ぎる時には、わざわざ馬から降りて敬意を示したという話が残っています。現在の大原は観光の里となってます。 |
●良暹法師が「ほどへてや 月もうかばん 大原や おぼろのし水 すむばかりに」と詠んだ大原は漬物の里としても有名で、赤しそ畑が広がっています。 |
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