村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕ぐれ ★雨から露、そして霧へー移り変わる自然を見つめて★ 百首 一覧
寂蓮法師
(じゃくれんほうし)
<1139年~1202年>
俗名(出家する前の名前)は藤原定長(さだなが)。83番・藤原俊成の兄、醍醐寺の僧であった阿闍梨俊海(あじゃりしゅんかい)の息子です。歌才を認められて、後継者として俊成の養子になりましたが、後に出家しました。定家や98番・藤原家隆らとともに、御子左家(みこひだりけ)の有力歌人として活躍しました。「新古今集」の撰者の一人ですが、完成前に病気で亡くなりました。 出展 『新古今集』秋・491



現代語訳

 にわか雨が通り過ぎて、その露もまだ乾いていない真木(まき:杉・ひのき・まき)の葉のあたりに、霧がほの白く立ちのぼっている秋の夕暮れであるよ。
鑑 賞
  この歌は、雨上がりの秋の夕暮れの幻想的な風景を詠んだ一首です。高野山や嵯峨野の奥で修行を重ねた作者の心を捉えた秋の風景だったのでしょう。「村雨」は晩秋から初冬にかけて降るにわか雨のことです。深山に激しく降った雨が通り過ぎると、雨のしずくが露となって、淡い日の光を受けて真木の葉に光っています。上の句では雨のしずくをクローズアップした近景、そして、下の句では、その露がまだ乾かないうちに、谷間から霧が静かに立ちのぼり、木立を白く包んでいくという遠景を描いています。秋の夕べの暮れる早さは寂しいものです。時の移り変わりを、「雨」「露」「霧」という自然現象の変化によってとらえました。秋の紅葉ではなく、真木という常緑樹を詠むことで、深緑と霧の白に色彩を抑え、体言止めで余韻を残しています。まさに「新古今集」の幽玄の美の世界を表現した一首と言えます。 
止
下の句 上の句
ことば
【村雨】
 激しく降ってすぐに止むにわか雨のことです。とくに秋から冬にかけて降る雨です。
【まだひぬ】

 「露」は雨のしずくのことです。「ひぬ」は動詞「干る」の未然形「ひ」に打消しの助動詞「ず」の連体形がついて、「まだ乾かない」という意味になっています。

【真木】
 
「真」は美称で「良い木材になる木」のことを指しています。杉や檜(ひのき)、槇(まき)などの常緑樹全体をこう言います。
【霧立ちのぼる】
 
「霧」はもやのことですが、春なら「霞(かすみ)」秋なら「霧(きり)」と使い分けられます。「立ち上る」は「立つ」と「のぼる」の2つの動詞を合わせたもの。
【秋の夕暮れ】
 「新古今和歌集」の幽玄を表す言葉で、秋は寂しい季節であり、夕暮れも物思いに沈む時間と考えられていました。
●「村雨」は晩秋から初冬にかけて降るにわか雨のことです。谷間から霧が静かに立ちのぼり、木立を白く包んでいくという遠景を描いています。 ●真木は、杉や檜(ひのき)、槇(まき)などの常緑樹全体を言います。
作品トピックス
●「村雨の」の歌は、建仁元年(1201)の「老若(ろうにゃく)50首歌合」で勝ちを収めました。この歌合は10名の歌人が「老」と「若」に分かれて勝敗を競うという、めずらしい試みで、寂蓮は当時64歳で「老」に入っていました。対戦相手は越前(阿仏尼)という若い女房です。「いづくにも さこそは月を 眺むとも  いとかく人の 袖はしぼれじ」(どこでどれほど月を眺めたとしてもこれほど感動して袖がしぼれるほど涙があふれましょうか)と、今宵この場所で眺める月の素晴らしさを詠んでいます。ともに秋の歌ですが、時雨のあとの静寂や澄んだ空気まで感じさせる寂蓮の歌には遠く及びませんでした。
●紅葉して秋を彩る木ではない「まき」を秋の歌に用いた初めての歌です。色彩のない墨絵のような美を表現した歌として中世に再評価されたようです。また、二句目の「露もまだひぬ」の先行歌として53番・道綱母の「消え返り 露もまだひぬ 袖(そで)の上に 今朝は時雨るる 空もわりなし」(心もすっかり消え消えになって、涙の露も乾かない袖の上に、今朝はしぐれが注ぐ空も、耐えがたく思われます。「後拾遺集」)があります。自分の涙、悲しみの例えとして露や時雨を詠ったのに対して、寂蓮は刻々と変化する大自然の瞬間をとらえている点が新しいといえます。
●藤原定長(さだなが)は、83番・藤原俊成の兄、醍醐寺の僧であった阿闍梨俊海(あじゃりしゅんかい)の息子です。後継者として俊成の養子になりましたが、97番・定家に和歌の素質を見極め、養子を辞退して出家し寂蓮と名のりました。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「村雨の」の歌碑は、常寂光寺と二尊院の間の長神の杜公園にあります。