難波江の 芦のかりねの 一よゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき ★旅先での一夜の恋-技巧を凝らした歌が評判に★ 百首 一覧
皇嘉門院別当
(こうかもんいんべっとう)
<生没年未詳、12世紀頃>
太皇太后宮亮(たいこうたいごうぐうのすけ)源俊隆(としたか)の娘で、77番・崇徳院の皇后(皇嘉門院)聖子(せいし)に仕えた女房でした。保元の乱(1156)の後、崇徳院が讃岐に流されたため聖子は出家し、養和元年(1181)に亡くなっています。別当はその頃(1181年)には出家しました。「右大臣兼実家(かねざねけ)歌合」や「兼実家百首」に参加しています。 出展 『千載集』恋三・807



現代語訳

 難波の入り江の芦の刈り根の一節のような、たった一夜だけの仮寝(かりね)のために、澪標(みおつくし)のように、この身を尽くして恋し続けなくてはならないのでしょうか。
鑑 賞
  詞書によると「旅宿逢恋(旅宿に逢う恋)」の題による題詠歌です。作者は「旅宿」を難波江に設定し、旅の宿で、男性とはかない一夜の契りを交わし、一生身を焦がすような恋の思いがつのってしまった女性の歌という趣向で詠んでいます。難波江は大阪湾の入江で、かつての貿易港、旅を暗示させる歌枕です。芦の群生地として知られていました。旅先で出会った人との一夜限りの短い恋。難波の入り江に生えている芦の切った節のように短くはかない逢瀬だったのに、それゆえに一生身を焦がすような思いがつのってしまったのです。題詠とはいいながら、悲しい恋の予感に涙する女心のせつなさが伝わってきます。「芦」「かりね」「一夜」「みをつくし」「わたる」が難波江の縁語です。「芦の刈り根(刈り取った芦の根)」と「仮寝(旅先の仮の宿)」、「一節(ひとよ)」と「一夜(ひとよ)」、「澪標(みおつくし)」と「身を尽くし」の三組の掛詞を使うなど、技巧を凝らした歌に仕上げています。 
止
下の句 上の句
ことば
【難波江】
 摂津国難波(現在の大阪府大阪市)の入り江で、芦が群生する低湿地。百人一首にも何首かに取り上げられています。「芦」や「刈り根」、「一節」、「澪標(みおつくし)」などと縁語になっています。

【芦のかりねのひとよ】

 「難波江の芦の」までが序詞で、「かりねのひとよ」を導き出します。「かりねのひとよ」は「芦を刈り取った根(刈り根)のひとふし(一節)」という意味と、「仮寝(旅先での仮の宿り)の一夜」という意味を掛けています。「一節(ひとよ)」は、芦の茎の節から節の間のことで、短いことを表しています。

【みをつくしてや】

 「澪標(みをつくし)」は、船が入り江を航行する時の目印になるように立てられた標識の杭のことで、生い茂る芦とともに難波の名物でした。身を滅ぼすほどに恋こがれる意味の「身を尽し」と掛詞になっています。「や」は疑問の係助詞です。

【恋ひわたるべき】

 「わたる」は長く続くこと。「べき」は推量の助動詞「べし」の連体形で、「みをつくしてや」の係助詞「や」の結びになります。
●難波江は、現在の大阪府大阪市の南部一帯の湾岸を指します。19番・伊勢や20番・元良親王の歌にも詠まれています。西国へ旅する人の多くは、難波江から船に乗って旅立ったので、旅の歌にもよく詠まれた場所です。※現在の大阪湾 ●澪標(みおつくし)は船が入り江を航行する時の目印になるように立てられた案内標識の杭です。
作品トピックス
●「難波江の」の歌が詠まれた時、そのひたむきな恋心の歌に、恋の相手探しを含めてその場に居合わせた女官たちのうわさになったと言います。この歌以外に残されている歌は少なく、晩年の定家が発見した一首といえます。定家好みの妖艶さ、切なさを漂わせた歌です。
●「難波」は古代の都が置かれ、貿易港として発展したにぎやかな場所でした。ところが、遷都が行われ、遣唐使が廃止されると、次第に政治の中心から遠のき、平安時代の都人にとっては幻想的な歌枕の地になっていました。天王寺や住吉大社参詣の旅先で出会い、一夜の恋に落ちる男女の物語を、皇嘉門院別当は想定したのでしようか。
●澪標(みおつくし)は大阪市の市章に選ばれ、難波橋の石造りの欄干にも彫刻されています。 (あし:葦)は、和歌でよく詠まれるイネ科の植物です。難波潟は芦の群生する湿地帯として知られていました。