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(さきのだいそうじょうぎょうそん)
<1055年~1135年> |
敦明(あつあきら)親王の孫で参議従二位源基平(もとひら)の息子です。10歳で父を亡くして出家し、大峰や熊野など諸国の霊場ををめぐって約18年間厳しい修行を行いました比叡山延暦寺の最高位である天台座主(てんだいざす)に任じられ、天治2年(1125)、71歳で大僧正となりました。花を愛し月に涙した生涯は、86番・西行法師に大きな影響を与えました。 |
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『金葉集』雑・556 |
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私がお前をなつかしく思うように、お前も私をなつかしく思っておくれ、山桜よ。この山奥ではお前以外に、私の心を分かってくれる友はいないのだから。 |
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詞書には「大峰にて思ひもかけず桜の花の咲きたりけるを見て詠める」とあり、大峰山で修行に励んでいる折に偶然山桜を見かけて詠んだ歌です。大峰は奈良県吉野郡にある修験道の女人禁制の霊山です。厳しい修行の最中に思いがけず目の前に現れた山桜。忘れていた人恋しさや寂しさを思い出したのでしょう。人知れず咲いている桜の美しさはどれほど心を慰められるものだったでしょう。厳しい冬に耐え、誰にも知られず咲き誇る桜と、孤独な自分の姿が重なって、思わず桜に呼びかけます。ここでの「あはれ」は、なつかしさ、ありがたさ、愛しさなどがこもった深くしみじみとした気持ちのことです。「お前の他に私の心を分かってくれる者はいない」という下の句に、修行者の孤独と桜への深い共感がこめられています。 |
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【もろともに】
「一緒に」という意味の副詞です。
【あはれと思へ 山桜】
「あはれ」は感動詞「あ」と「はれ」が組み合わさって生まれた言葉で、深い感動を表します。しみじみといとおしく懐かしく思うことです。山桜を人のように擬人化し、呼びかけています。
【花より外(ほか)に】
「花」は「山桜」のことです。「より」は限定を表す格助詞です。
【知る人もなし】
「知る人」とは知人のことではなく、「自分を理解してくれる人」のことを指します。 |
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●大峰(現在の奈良県吉野郡の大峰山)。大峰山(おおみねさん)は奈良県の南部にあり、広義には大峰山脈を、狭義には山上ヶ岳(さんじょうがたけ)をさし、古くから修験道の山として山伏の修行の場でした。 |
●修行門のある吉野山奥千本までは、竹林院前から奥千本口まで山道をバスで15分ほど登ります。 |
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●この歌は桜の花を詠んでいるようで、実は修行僧としての自分の心境を率直に詠じた歌です。「金葉集」の配列を見ても、春部ではなく雑部に配列されています。
●家集「行尊大僧正集」の詞書には「風に吹き折れてもなほめでたく咲きて侍りしかば」とあり、「折り伏せて 後さへ匂ふ 山桜 あはれ知れらむ 人にみせばや」の歌と「もろともに」の歌が連作になっていて、並んで収められています。ただ美しいだけでなく、風に枝が吹き折られても、なお健気に咲いている桜なのです。その生命力に共感し、「もろともにあはれと思へ」と呼びかけているのです。厳しい山岳修行に心身打ちひしがれながら、なお修行に打ち込む作者の姿が、桜の姿と重なります。 |
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●山上ヶ岳(旧名:金峯山)の頂上付近には修験道の根本道場である大峯山寺山上蔵王堂があります。 |
●人知れず咲いている山桜の美しさはどれほど心を慰められるものだったでしょう。 |
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