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(ごんちゅうなごんさだいえ)
<1162年~1241年> |
藤原定家は、平安末期の大歌人83番・藤原俊成の49歳の時の子です。御子左家(みこひだりけ)の後継者として父から和歌を学び、新古今時代の代表的な歌人として活躍しました。99番・後鳥羽院の目にとまり、「新古今集」の撰者に抜擢(ばってき)され、承久の乱後は、96番・藤原公経の支援を受けて、歌壇で大きな力を持つようになります。多くの著作があり後世に影響を与えました。 |
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『新勅撰集』恋3・849 |
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いつまで待っても来ない人を待ち続けて、松帆の浦で夕なぎの時に焼く藻塩のように、恋い焦がれつづけているのです。 |
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詞書に「建保(けんぽう)六年内裏の歌合、恋の歌」とあり、定家が女性の立場になって、恋人を待ち続ける気持ちを詠んでいます。万葉集の笠金村(かさのかなむら)の長歌を本歌としています。「名寸隅(なきすみ)の 舟瀬ゆ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉藻刈りつつ 夕なぎに 藻塩焼きつつ 海人娘人(あまおとめ) ありとは聞けど 見に行かむ…」(淡路島の松帆の浦で、朝凪時に藻を刈って夕凪時に藻塩を焼く若い海女がいると聞いたので見に行きたいがすべがない…。)という男の恋歌です。定家は主人公の男性を女性に変えて、海に入ってあわびなどの海産物を採る海乙女(あまおとめ)が、いつまでたっても来てくれない、つれない恋人を待って身を焦がす歌に昇華させています。なぎは風のない状態をいいます。そんな夕暮れの海岸でじりじりと焼け焦げる藻塩火とまっすぐ立ち登る煙は、恋焦がれて、やるせなく恋人を待ち続ける女性の心情を象徴しています。「松帆」の「松」は「待つ」と掛詞、「焼く」「藻塩」「こがれ」は縁語で、「こがれつつ」の「つつ」に恋人を待ち続ける長い時間の流れが示されています。 |
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【まつほの浦】
兵庫県淡路島最北端にある海岸の地名です。明石海峡に面した海岸で、定家が詠んだこの歌によって歌枕として有名になりました。松帆浦の「松」と、「待つ」が掛詞になっています。
【藻塩(もしお)】
海藻から採る塩のこと。古い製法で、海藻に海水をかけて干し乾いたところで焼いて水に溶かし、さらに煮詰めて塩を精製しました。「焼く」や「藻塩」は「こがれ」と縁語で、和歌ではセットで使われます。「まつほ~藻塩の」は、「こがれ」を導き出す序詞(じょことば)です。
【夕なぎ】
夕凪と書き、夕方、風が止んで海が静かになった状態のことです。山と海の温度が、朝と夕方にはほぼ同じになるので、こういう状態になります。
【身もこがれつつ】
火の中で燃えて身を焦がす海藻(藻塩)の姿と、恋人を待ちこがれる少女の姿を重ねた言葉。 |
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●まつほの浦は、兵庫県淡路島の最北端にある海岸の地名です。明石海峡に面した海岸で、定家が詠んだこの歌によって歌枕として有名になりました。磯に打ち寄せる波の向こうに明石市を望むことができます。 |
●本州にもっとも近い岬で、近くに「まつほの浦」の歌碑があります。
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●「万葉集」の時代から「藻塩」や「焼く塩」という言葉を詠みこんだ歌は作られていました。塩を焼く煙は、目にしみて涙が出ることから「つらい恋」を連想する言葉として使われたようです。また、風で煙のなびく方向が予想できないことから、思わぬ恋をすることにもたとえられました。さらに、海辺で焼く藻塩と、好きな人を思って身を焦がす思いという意味をかけて使われることもありました。
●定家の藻塩の恋歌が「新古今集」にあります。「なびかじな 海士(あま)のもしほ火 たきそめて けむりは空に くゆりわぶとも」(なびかないであろうよ。海士が藻塩を作るのに、たきはじめた煙よ、空に上がっていかずに、くすぶっているように、私の思いも届かずにいるのです。)「藻塩(く)汲む 袖(そで)の月影 おのづから よそに明かさぬ 須磨の浦人」(藻塩を作るためにくむ、潮水にぬれた袖が、月の光に映し出されるのを、須磨の浦人は自分から他の人には見せないものですよ。) |
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●藻塩草はおもにアマモで、海辺に積んで何度も海水をかけて乾かし、塩を取るのです。土地の人々が生活のために行っていましたが、都の人々にとっては風流な光景でした。 |
●北淡町野島平林にある貴船神社遺跡では製塩土器が発掘されました。緑の道しるべ大川公園には、製塩の過程を示すモニュメントや、野島海人の像があります。 |
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