み吉野の 山の秋風 小夜ふけて ふるさと寒く 衣うつなり ★吉野の里に響く音とは?-蹴鞠と和歌に生きて★ 百首 一覧
参議雅経
(さんぎまさつね)
<1170年~1221年>
藤原頼経(よりつね)の2男で、藤原雅経(ふじわらのまさつね)です。蹴鞠(けまり)と和歌の才により源頼朝に取り立てられました。大江広元(鎌倉幕府の政所の初代別当)の娘を妻にしています。後鳥羽院の歌合に出詠、後鳥羽院歌壇の中心歌人として「新古今集」の撰者の一人となりました。飛鳥井(あすかい)流の蹴鞠の祖です。 出展 『新古今集』秋・483



現代語訳

 吉野山の秋風が夜もふけて吹き渡り、旧都であるこの里は冷えこんで、衣を打つ砧(きぬた)の音が寒々と聞こえてくるよ。
鑑 賞
  詞書に「擣衣(とうい)の心を」とあります。「擣衣(とうい)」は、砧(きぬた)で衣を打つことです。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を丸太に柄のついたような棒で叩いてやわらかくし光沢を出す作業のことです。中国・唐の詩人、李白の漢詩「子夜呉歌(しやごか)」をふまえています。いくさに行った夫を待って、留守を守る妻は、冬支度をします。静かな秋の夜に、どの家からも砧を打つ音が響いているという妻の嘆きを歌った漢詩です。雅経のこの一首も「擣衣(とうい)」というテーマを出されて作った歌のようです。また「古今集」の「み吉野の 山の白雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさるなり」という31番・坂上是則の歌の本歌取りにもなっています。季節を冬から秋に変えて、砧の音(聴覚)を加えることで、吉野の里の寒さがしみじみと感じられる歌になっています。また、「さよふけて ふるさとさむく」の「さ」音は、吹く秋風を連想させて効果的です。
止
下の句 上の句
ことば
【み吉野の】
 吉野は、桜の名所として名高い今の奈良県吉野郡吉野町のことです。「み」は言葉の頭につける美称。

【さ夜ふけて】
 「夜がふけて」という意味です。「さ」は語感をととのえる接頭語です。
【ふるさと寒く】
 
「ふるさと」は「いにしえの都があり、忘れさびれた場所」=「古里(ふるさと)」のことです。吉野には、応神天皇、雄略天皇、天武天皇の離宮がありました。
【衣打つなり】

 「衣を打つ音が聞こえてくる」という意味です。女性が夜にした仕事で、砧(きぬた)に衣を置いて柄のついた太い棒で叩き、柔らかくして光沢を出しました。
●奈良県の吉野の里は、大和国の歌枕です。春は桜、冬は雪の名所として知られる山里で、万葉の昔からよく歌に詠まれてきました。※吉野川 ●吉野山中千本の「常楽山竹林院」は源義経が吉野に逃げてきたとき、源頼朝から追討の書が送られてきたという古い寺です。
作品トピックス
●「み吉野」の歌は、李白の漢詩「子夜呉歌(しやごか)」をふまえています。「長安一片月 万戸擣(打)衣声 秋風吹不尽 総是玉関情 何日平胡虜 良人罷遠征」(長安の夜空に月一つ 多くの家から砧の音が聞こえる 吹き続ける秋風に 思いやるのは西の果ての玉門関 いくさに勝っていつの日に あの人は遠征から帰って来るのだろうか。)から、ひたすら衣を打つ女の姿が和歌に取り込まれました。
●また、31番・坂上是則の「み吉野の 山の白雪 つもるらし ふるさと寒く なりまさるなり」(今夜は吉野の山では雪が積もっているに違いない。この奈良の古京ではますます寒さが厳しくなってゆくのを感じるのだから。「古今集」)を本歌としています。当時、本歌を取り過ぎる、盗作だという批判もありました。確かに31文字の和歌で17文字までが配置もそっくりです。しかし、残りの14文字で個性を示した腕前はさすがです。 
●大和三庭園の一つである池泉回遊式庭園「群芳園」があり、枝垂桜が見事です。 ●群芳園内に雅経の歌碑があります。「み吉野の」は歌は、31番・坂上是則の「み吉野の 山の白雪つもるらし ふるさとさむく なりまさるなり」が本歌です。