恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ ★失恋のうわさがつらい、宮廷女房の悩みを詠う★ 百首 一覧
相 模
(さがみ)
<995か998年頃~1061年以後>
相模守の大江公資(きみより・きんより)の妻となり、任国の相模国(さがみのくに:現在の神奈川県)へ一緒に行ったので、相模と呼ばれるようになりました。本格的な歌壇活動は40歳を過ぎてからで、70歳前後で亡くなるまで歌人として後半生を全うしました。中古三十六歌仙の一人です。 出展 『後拾遺集』恋・815



現代語訳

 つれないあの人を恨み、恨む気力もなくなり、涙にぬれて乾く間もない袖が朽ちてしまうことさえ惜しいのに、さらに、この恋のうわさに朽ちていく私の名が惜まれてならないのです。
鑑 賞
  詞書に「永承六年内裏歌合に」とあります。詠題の恋の歌で、相模は右近少将源隆俊(たかとし)と競詠して勝利しました。この時相模は50歳を越えていたので、実際の恋の歌ではありませんが、結婚生活や恋愛に悩みぬいた人らしく、苦悩の多い宮廷女房の心情を切々と歌っています。上の句で、自分の恋が思うにまかせぬ悲しみ、恨みを涙にぬれて朽ちしまう袖に託して詠み、下の句で、「恋に破れて毎日泣いているそうだ」とうわさされて私の評判までが朽ちる(落ちる)なんて、と二重の苦悩を表現しています。薄情な男とは知っていながらあきらめきれず、愛されるのなら浮名が立ってもかまわないという未練の思いがにじんでいます。 97番・定家は相模の恋歌が好きで、定家撰の歌集には彼女の歌が多く撰入されています。
止
下の句 上の句
ことば
【恨みわび】
 「~わぶ」は「気力を失う」という意味。「恨む気力も失って」という意味です。「恨む」気持ちがたまりにたまって、恨む気力も失うほど

【ほさぬ袖(そで)だに】
 
「ほさぬ袖」は、いつも泣いて涙を拭いているので「乾くひまもない袖」という意味です。副助詞「だに」は「~でさえ」のような意味で、程度の軽いもの(ここでは「袖」)を示して、重いもの(ここでは「名」)と対比しています。
【あるものを】
 「ある」の前に「口惜し」を補って考えます。「ものを」は詠嘆をこめた逆接の接続助詞で「袖が朽ちるのさえ悔しいのだから」と、後で恋で悪い噂が立つことと比較しています。
【恋(こひ)に朽ちなむ 名こそ惜しけれ】

 「な」は完了の助動詞「ぬ」の未然形で、「む」は推量の助動詞「む」の連体形です。「名」は「評判、うわさ」の意味で、「こそ」は強調の係助詞です。また「惜しけれ」は形容詞「惜しき」の已然形で「こそ」の結びになります。「失恋のうわさで汚れてしまいそうな私の評判がとても残念だ」という意味になります。
●「駒競行幸絵巻」には豪華な釣殿の様子が描かれています。高陽(かや)院は、寝殿造りの邸宅の四周に二つの池と四季の庭のある最大級の邸宅でした。(京都市の説明板より) ●関白・藤原頼通が自邸の釣殿で催した「賀陽院水閣歌合」にも59番・赤染衛門らとともに参加しました。丸太町堀川通東に高陽院跡(賀陽院跡)の金属板が掲示されています。
作品トピックス
●人妻の相模は63番・中納言定頼に嘆きの歌を残しています。「逢ふことの なきよりかねて つらければ さてあらましに ぬるる袖かな」(お逢いすることがまれになって思えば、逢う前から予想されたこの恋の行末を思うと、袖が涙でぬれるのです。「後拾遺集」)詞書には、「公資に相具して侍りけるに、中納言定頼忍びて訪れけるを、隙なきさまをや見けむ、絶え間がちにおとなひ侍りければよめる」とあります。公資と夫婦として住んでいた邸に定頼がすきを見て忍んでくるのですが、さすがに遠慮されて絶え間がちになることが多いのを嘆いて詠んだものです。
●また、もう絶対に逢わない、今日でお別れだと定頼が告げて帰って、その通り何の連絡もなかったので送った歌もあります。「来じとだに 言はで絶えなば うかりける 人のまことを いかで知らまし」(もう来ないよ、の一言さえもなく終わってしまったなら、薄情な人が本当に薄情だとどうして知ることができたでしょう。「後拾遺集」)定頼への皮肉をこめながら、未練たっぷりの歌です。夫の公資が相模を任国に伴ったのは、定頼から妻を引き離そうと思ってのことらしいです。
●苦悩の多い宮廷女房の心情を切々と歌って、歌合に勝ちを収めた歌ですが、この時相模は50歳を越えたベテラン歌人でした。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「恨みわび」の歌碑は、亀山公園にあります。