夕されば 門田の稲葉 おとづれて 芦のまろやに 秋風ぞ吹く ★田舎の秋を感じて-貴族の間で流行★ 百首 一覧
大納言経信
(だいなごんつねのぶ)
<1016年~1097年>
民部卿(みんぶきょう)・源道方(みちかた)の6男で源経信(みなもとのつねのぶ)です。源氏の中でも「宇多源氏」という名門氏族の出身で、和歌・漢詩・管弦(琵琶の名手)に優れ、55番・藤原公任と並び「三船の才」とたたえられました。息子は74番・俊頼、85番・俊恵法師は孫にあたります。 出展 『金葉集』秋・183



現代語訳

 夕方になると、家の門前にある田んぼの稲の葉をさわさわと鳴らし、この芦(あし)ぷきの田舎家に、秋風が吹き渡ってくるよ。
鑑 賞
  詞書によると、大納言経信(つねのぶ)の友人、源師賢(みなもとのもろかた)が所有する梅津(うめづ:現在の京都市右京区梅津)の山荘に貴族たちが招かれた時に行われた歌会で披露されたものです。あらかじめ「田家秋風(たのいえのあきかぜ:風の音で秋の訪れを知る)」という題詠が決まっていましたが、実際に田園風景を目の前にして詠んだ歌でしょう。夕方になると、家の前の稲穂がそよいで爽やかな音をたて、家の中に秋風が吹きこんでくる光景は、都会人にとって新鮮な体験だったことでしょう。「門田」「稲葉」「芦のまろや」という田園風の言葉を並べることで、秋風に揺れる稲穂(視覚)、さわさわという音(聴覚)、そして肌に感じる冷たい風(触覚)によって初秋の田園の夕暮れが実感をともなって伝わってきます。どこか寂しさも感じさせます。それまで重視されていた華やかな王朝和歌の伝統とはちがう、新たな自然の美の発見をうながしました。定家もこの歌を高く評価しています。
止
下の句 上の句
ことば
【夕(ゆふ)されば】
 
「され」は動詞「さる」の已然形で「移り変わる」というような意味になります。「ば」は接続助詞で確定を表し、全体で「夕方になると」という意味になります。
【門田(かどた)の稲葉】
 「門田」は門の真ん前の田圃のこと。家に近くて仕事がしやすく一番大事にされました。
【おとづれて】
 動詞「おとづる」は「訪れる」という意味もありますが、元々は「声や音を立てる」という意味で、そちらが使われています。
【芦のまろや】
 「屋根が芦葺きの、粗末な仮住まいの小屋」という意味ですが、源師賢の別荘のことを言っています。
【秋風ぞ吹く】
 「ぞ」は強意の係助詞で、「秋風が吹き渡ってくる」という意味です。
●平安時代の中期以降、貴族たちはこぞって都郊外の田園や丘陵地に別荘を建て、管弦を楽しんだり、歌会を催したりしています。経信がこの歌を詠んだ梅津の山荘は京都市右京区の梅津で、西院から桂川に至るあたりです。 ●経信の友人、源師賢の邸跡には、梅宮大社があります。
作品トピックス
●大納言経信(つねのぶ)と兄の経長、源師賢(みなもとのもろかた)と弟の政長の4人は、とても親しい歌友であり、管弦の仲間でした。彼らは互いに桂・六条・梅津・八条の山荘や別宅で管弦歌会を催しました。この山荘歌会は、宮廷歌会とは異質の、新たな自然美の発見をもたらしました。
●「経信集」には「「標縄(しめなわ)」「門田(かどた)」「稲葉(いなば)」などの田園風景が繰り返し詠まれています。この新しい切り込みは、経信の得意とした漢詩世界の影響が考えられます。
●境内の東神苑にある「池中亭茶屋」の茅葺きの屋根の形が、「芦のまろ屋」の雰囲気を今に伝えています。 庭園には経信の歌碑があります。書体は97番・藤原定家の直筆です。