嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る ★夫の浮気を知ったらどうする?-結婚生活の記録「蜻蛉日記」★ 百首 一覧
右大将道綱母
(うだいしょうみちつなのはは)
<937年頃~995年頃>
陸奥守、藤原倫寧(ふじわらのともやす)の娘です。中古三十六歌仙、女房三十六歌仙に選ばれています。美貌と歌才を兼ね備えた女性であるという評判を聞いて、大臣家の御曹子・藤原兼家から求婚され、兼家の第2夫人として藤原道綱(みちつな)を生みました。兼家との交際から21年間にわたる半生を綴ったのが「蜻蛉(かげろう)日記」です。 出展 『「拾遺集』恋四・912



現代語訳

 あなたがいらっしゃらないのを嘆きながら、一人寂しく寝る夜。明けるまでの時間がどれだけ長いことか、ご存じないでしょうね。
鑑 賞
  「拾遺集」の詞書によると、「入道摂政まかりたりけるに、門を遅く開けければ、立ちわづらひぬ、と言ひ入れて侍りければ」とあります。つまり、夫である摂政、藤原兼家が訪れてきたのですが、わざと長く待たせて門を開いたら、兼家は「待たされて立ち疲れてしまったよ」と不満を言って入ってきたので、この歌を詠み「日頃待つ身のつらさが分からないでしょうね」とひとり寝のつらさを訴えたわけです。ところが、「蜻蛉日記」には別の話が記されています。結婚の翌年の天暦9年(955)、兼家が他の女のもとに通い始めたことを知った作者は、腹立たしくてとうとう門を開けませんでした。あきらめた兼家がその女のもとに行ってしまったので、翌朝、盛りを過ぎた菊一輪にこの歌を託して兼家のもとに届けさせたのです。花の色の移ろいに、夫の心変わりをほのめかせ、浮気を責める気持ちがひしひしと伝わってきます。
止
下の句 上の句
ことば
【嘆きつつ】
 
「つつ」は動作や作用の反復(繰り返し)を表す接続助詞です。何度も嘆いてため息をつく様子を表します。
【ひとり寝る夜】
 
「寝(ぬ)る」は動詞「寝(ぬ)」の連体形です。平安時代は男が女性の家に通う通い婚が慣習でしたので、「ひとり寝る夜」というのは、夫の来訪がなく孤独に寝る夜のことです。
【明くる間は】
 
「夜が明けるまでの間は」という意味です。孤独な夜が長く感じる、という表現は恋愛歌では常套的で、百人一首の中にもいくつかあります。
【いかに久しきものとかは知る】

 
「いかに」は程度がはなはだしいことを表す副詞で、「どんなにか…」と問いかける言い方になっています。「かは」は反語を表す複合の係助詞で、連体形の動詞「知る」と係り結びの関係になっています。全体で「どんなに長いものか知っておられるでしょうか?」という意味になります。
●18歳頃、美貌と歌才を兼ね備えた女性であるという評判を聞いて、大臣家の藤原兼家から求婚され第2夫人になりました。夫は東三条殿と呼ばれました。兼家の邸はこの石碑を中心として二条通、御池通、新町通、西洞院通に囲まれた地域にありました。※東三条院址 ●結婚の翌年、兼家が他の女のもとに通い始めたことを知った作者は、腹立たしくて自宅の門を開けませんでした。この地で「蜻蛉日記」は書かれました。※道綱母旧居址
作品トピックス
●「蜻蛉日記」によると、「嘆きつつ」の歌をめぐる話はもっとドラマチックになっています。息子の道綱が生まれたばかりなのに、ある夕方、宮中にどうしても避けられない用事があるからと、兼家は彼女の家からすぐ帰っていきます。怪しく思って使用人に後をつけさせると、仕事とはうそで、町の小路の愛人のもとへ通っていったのです。2、3日した明け方に兼家が訪れて来ましたが、絶対逢ってやるものかと門を開けませんでした。するとしばらくしてやはりあの女の家に行ってしまいました。このまま黙ってすますわけにはいかないと、翌朝、盛りを過ぎた菊一輪と一緒にこの歌を届けたのでした。女性から先に歌を詠みかけることがめずらしいこの時代に、恨み言を言わずにはいられなかったせつなさが伝わってきます。定家の「明月記」に「蜻蛉日記絵」を作らせたという記述があるので、日記の詠歌事情を知ったうえで、定家はこの歌を選んだものと思われます。    
●「嘆きつつ」に対する兼家の返歌も「蜻蛉日記」に記されています。「夜が明けるまで待っても、戸を開けてくれるまでは様子をみようと思ったのですが、急な召使いが来たので。」という返事と、次の歌が届きました。「げにやげに 冬の夜ならぬ 真木(まき)の戸も おそくあくるは わびしかりけり」(ほんとに言われるとおり、冬の夜はなかなか明けずらいものだが、冬の夜でもない真木の戸も、なかなか開けてもらえないのはつらいものと思い知ったよ)道綱母の「あくる」を受けて、兼家も「夜が明ける」と「戸を開ける」の意味を掛けて歌にいますが、妻の切実な思いを軽く受け流した歌になっています。 
●翌朝、盛りを過ぎた一輪にこの歌を託して兼家のもとに届けさせたのです。花の色の移ろいに、夫の心変わりをほのめかせ、浮気を責めたのでした。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「嘆きつつ」の歌碑は、亀山公園にあります。