忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな ★わかってほしい、せつない女心―I愛を誓った敦忠の運命は?★ 百首 一覧
右 近
(うこん)
<生没年未詳>
右近少将・藤原季縄(すえただ)の娘(一説には妹)で、その官名から「右近」と呼ばれています。10世紀前半の人で、醍醐天皇の中宮穏子(おんし)に仕えた女房です。恋多き女性で、さまざまな男性との交流が知られています。村上天皇歌壇の歌人として活躍しました。 出展 『拾遺集』恋四・870



現代語訳

 あなたに忘れ去られる私の身はなんとも思いません。ただ、いつまでも愛すると神に誓ったなたの命が、神罰(しんばつ)を受けて、失われるのが惜しまれてならないのです。
鑑 賞
  神仏に対する信仰が厚かった平安時代、神に誓ったことは絶対でした。永遠の愛を神に誓うと、裏切った時には罰(ばち)があたって命を落とすと信じられていました。「私のことはどうでもいいのですよ。しかし…」と自分を捨てる言い方をしながら、なおも「あなたのことが心配で」というところに強い情念や未練が感じられます。捨てられた男性の幸せをひたすら願い続ける、けなげな女性の思いを詠んだ歌と解されていますが、相手の心変わりに対する皮肉をこめた歌ととることもできます。「私のことはどうでもいいの!でも『絶対忘れない』と神にまで誓ったあなたが、神罰で死んでしまうのが残念だわ」という恨みが込められているというものです。何人かの有名歌人との恋愛が伝えられていますが、とくに左大臣時平の3男、43番・敦忠(あつただ)とは深い仲だったようで、この歌を贈られた相手だとされています。ちなみに、敦忠は38歳の若さで亡くなっています。 
止
下の句 上の句
ことば
【忘らるる】
 「忘(わす)る」は下二段活用の動詞ですが、ここでは古い形である四段活用で扱っています。「るる」は受け身の助動詞の連体形で、「忘れ去られる」という意味です。

【身をば思はず】
 
「身」は自分自身のことで、「を」は格助詞、「ば」は強意の係助詞「は」です。「を」に続く時には濁って「ば」となります。「ず」は打消しの助動詞の終止形。ここで一文が終わります。全体で「自分自身のことは何とも思わない」という意味。
【誓ひてし】
「て」は完了の助動詞「つ」の連用形で、「し」は過去の助動詞「き」の連体形です。以前、いつまでも君のことは忘れない、と神に誓った、という意味です。
【人の命の】
「人」は自分を捨てた相手のこと。上の句の「身」と対比的に使われています。
【惜しくもあるかな】

「惜し」は、大切で手放すのが惜しいとか、かけがえのないものが失われるのがもったいなく思われる気持ちを表します。恋の歌によく出でくる言葉です。男が神罰を受けて命を落とすのがしのびないというのです。
●平安宮内裏清涼殿は天皇が住んだところです。右近は醍醐天皇の皇妃穏子に仕えた女房です。 ●43番・藤原敦忠(あつただ)が、この歌を贈られた相手だとされています。ちなみに、敦忠は38歳の若さで亡くなっています。
作品トピックス
●「思はず」の「ず」を終止形・2句切れとすると、あきらめと同時に男の命をも惜しむ意味になります。連用形で3句に続けると、忘れられることなど考えもせず愛を誓った我が身のおろかさを反省する意味になります。また、この歌が贈答歌なら男へのあてつけにもとれますが、独詠歌なら、裏切られながらも男を思いきれない、悲しい愛の歌と解釈できます。
●「大和物語」には宮廷の人々をめぐる恋愛や別離などが描かれています。81段から85段の5話にわたって右近の恋歌をめぐる逸話が記されています。81・82・84段の相手は藤原敦忠です。時平の3男で、美貌と優雅で知られた青年でしたが、身分違いの恋だったようです。84段には敦忠が「あなたのことは忘れない」とさまざまな誓いを立てたのに、右近のことを忘れてしまったので、その後に言い贈ったとして「忘らるる」の歌が記されています。「返しは、え聞かず」(返歌はなかった)と記されています。
●「源氏物語」明石の巻に「忘らるる」の歌の2句目が引用されています。明石の君のことを話す光源氏に嫉妬した紫の上が、さりげないふうに「身をば思はず」と恨み言を言う場面です。
●嵯峨嵐山文華館には右近の歌と人形が展示されています。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「忘らるる」の歌碑は、亀山公園にあります。