滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞えけれ ★枯れた滝が「名古曽(なこそ)の滝」と呼ばれるようになったわけは?★ 百首 一覧
大納言公任
(だいなごんきんとう)
<966年~1041年>
藤原頼忠(よりただ)の長男で、藤原公任(ふじわらのきんとう)です。四条の大納言と呼ばれました。「三船(さんせん)の才」(漢詩・和歌・管絃の3つの才能を兼ね備えていること)という言葉は公任の逸話から生まれたものです。歌人としても歌学者としても一流でした。彼が「三十六人撰」で歌人を選定したことで、三十六歌仙という呼び方が広まりました。 出展 『千載集』雑上・1035



現代語訳

 滝の流れる音は、聞こえなくなってから長い年月が経ってしまったけれど、その名声だけは流れ伝わって、今でも世間に知られていることだ。
鑑 賞
  「拾遺集」の詞書には「大覚寺に人あまたまかりたりけるに、古き滝を詠み侍りける」とあります。公任が、藤原道長に伴い、京都嵯峨にある大覚寺の滝殿を訪れた時に詠んだ歌です。もと嵯峨上皇の離宮でしたが、上皇の死後百年以上が経ち、滝は枯れて、庭園はすっかり荒れていたようです。かつての滝殿の美しさを思い浮かべ、滝の名声だけは変わることがないとうたっています。公任は技巧的な表現に優れていた人で、「たきのおとは たえて」「なこそながれて なほ」と頭の音をそろえたなめらかな調べの中に、「滝」と「流れ」、「音」と「聞こえ」という二組の縁語をしのばせています。声に出して読んでみると、滝の水が流れ落ちるような感じが味わえます。人間も限りある命ですが、名声は残ります。誇り高く生きたいという公任の思いが暗示されているのかもしれません。
止
下の句 上の句
ことば
【滝の音は】
 滝の流れ落ちる水音は
【絶えて久しくなりぬれど】
 「ぬれ」は完了の助動詞「ぬ」の已然形で、「聞こえなくなって長くたつけれど」という意味を表しています。
【名こそ】
 「名」は名声や評判のこと。「こそ」は強調の係助詞です。
【流れて】
 流れ伝わって、という意味を表します。「流れ」は滝の縁語です。
【なほ聞こえけれ】
 「なほ」は「それでもやはり」の意味の副詞です。「けれ」は、前の「こそ」を結ぶ言葉で「けり」の已然形となります。
●京都の嵐山にある大覚寺(だいかくじ)は、平安初期に建立された嵯峨天皇の離宮でした。 ●離宮嵯峨院に合わせて作られた大沢池は、池泉回遊式庭園で、中国の名勝として知られる洞庭湖を模して作られました。嵯峨上皇の死後、滝も枯れていました。「名古曽(なこそ)の滝」は平成6年に石組みと2種類の遣り水(水路)を合わせて復元されました。
作品トピックス
●長保元年(999年)9月12日、藤原道長の西山行楽に参加して、公任は嵯峨野を訪れています。後の宴会で「初到滝殿」という題で詠んだ歌です。「拾遺集」には「滝の糸」となっていますが、これは撰者である花山院が視覚的な表現に修正したもので、公任の原作は聴覚を重視した「滝の音」であったようです。
●公任の時代に滝は枯れており、昔をしのんで歌ったものです。大覚寺の滝殿後は公任が歌に詠んだことで有名になり、枯れ滝は「名古曽(なこそ)の滝」と呼ばれるようになりました。
●大沢池は月見の名所として知られていました。「滝の音は」の歌碑板は滝のそばにあります。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では100基の歌碑めぐりを楽しめます。「滝の音は」の歌碑は、亀山公園にあります。