難波潟 みじかき芦の ふしの間も  あはでこの世を 過ぐしてよとや ★「あしのふしの間」は、どのくらいの時間?-つれない人へ,伊勢の返信★ 百首 一覧
藤原敏行朝臣
(いせ)
<872年~938年頃>
伊勢守・藤原継蔭(つぐかげ)の娘。古今集時代の代表的歌人で、三十六歌仙の一人です。「古今集」に女流歌人では最多の22首入集しています。宇多天皇の中宮温子(おんし)に仕えましたが、藤原仲平(なかひら)、宇多天皇、敦慶(あつよし)親王などに愛されました。女流歌人の中務(なかつかさ)の母です。 出展 「新古今集」恋一 ・1049



現代語訳

 難波潟(なにわがた)に生える芦(あし)の、節と節の間ほどの短い時間でさえ、あなたに逢わずに、この世を過ごせとおっしゃるのですか。
鑑 賞
  こんなにも恋したっているのに、ほんのわずかばかりの時間も逢ってくれないあなた。このまま逢えないまま、人生を過ごしてしまえとおっしゃるのでしょうか。まず「難波潟」と広々とした入り江の風景をイメージさせ、次に海辺に生える「芦」、さらに芦の節と節の間へと、次第に焦点をしぼり、最後には「過ぐしてよとや」と強い調子で結んでいます。逢いに来てくれない男への思慕と絶望感が漂います。「新古今集」では題詠として採られていますが、「伊勢集」のある本では「秋ごろうたての人の物いひけるに」という詞書が記されています。「うたての人」とは「つれない人」の意味で、つれない恋人への恨みの気持ちを詠んだ歌だとわかます。藤原仲平(なかひら)にあてた返歌ではと推定されていますが、恋の多さのため、相手が誰であったのかは確定できません。
止
下の句 上の句
ことば
【難波潟
今の大阪湾の入り江の部分で、代表的な歌枕です。昔は干潟が広がり、芦がたくさん生えていて、名所のひとつになっていました。「潟」は潮が引いた時に干潟になる遠浅の海のことです。

【みじかき芦の】

「芦」は水辺に生えるイネ科の植物。高さ2~4mになります。「難波潟 みじかき芦の」までが、この歌の序詞。

【ふしの間も】

掛詞で、芦の「節(ふし)」の短さと、逢う時のほんのわずかな時間、という意味を掛けています。

【逢はでこの世を】

「世」は世の中の意味だけでなく、人生や男女の仲などさまざまな意味を持ちます。ここでは男女から人生の意味まで複数の意味をかけています。また「世」は「節(よ)」と音が重なり、「節(ふし)」とともに芦の縁語。

【過ぐしてよとや】

一生を過ごしてしまえと、あなたは言うのでしょうか、という意味。「てよ」は完了の助動詞「つ」の命令形です。
●芦(あし:葦)は、和歌でよく詠まれるイネ科の植物です。難波潟は芦の群生地として知られいていました。 ●現在の大阪湾は人工埠頭の建設などが進み、かつての干潟の味わいを残す風景にはなかなか出会えません。※淀川の風景
作品トピックス
●「伊勢集」によると、伊勢の最初の恋人・藤原仲平と別れた時に詠んだ歌が記されています。「人知れず 絶えなましかば わびつつも 無き名ぞとだに 言はましものを」(人に知られないうちに、自然に絶えてしまった2人の仲であるのなら、失恋の悲しみに嘆きながらも、「あなたとのことは最初から何もなかったのですよ」と、せめて言いたかったのだけれど。うわさがこうも広まっては、そうもできないことですね。「古今集」)「今昔物語」巻24第47では、「人知れず」の歌を仲平に贈ったら、以前にもまして仲平の愛情を取り戻した話として記されています。
●短いことを表すアシの節が詠まれた歌として曾禰好忠の歌があります。「三島江に つのぐみわたる 蘆(あし)の根の ひとよのほどに 春めきにけり」(三島江の一面に生えているアシの一節ではないけれど、たった一夜のうちに春めいたことです。「後拾遺集」)
●難波潟は、大阪湾の入り江のあたりの遠浅の海を指します。上町台地の北端にある高麗橋付近ではないかという説があります。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「難波潟」の歌碑は、 常寂光寺と二尊院の間の長神の杜公園にあります。