白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける ★秋の野原を何にたとえる?-巧みな比喩が光る★ 百首 一覧
文屋朝康
(ふんやのあさやす)
<生没年未詳、9~10世紀>
六歌仙の一人、22番・文屋康秀(ふんやのやすひで)の息子です。恵まれない、低い官位のまま、一生を終えましたが、歌の才能は広く認められており、平安時代の有名な歌合に参加し、「古今集」成立直前の歌壇で活躍しました。歌は「古今集」に1首と「後撰集」に2首だけ残っています。 出展 『後撰集』秋・308



現代語訳

 草の上に光る白露に風が吹きしきる秋の野は、まるで、紐(ひも)でつなぎとめていない真珠が、散りこぼれているようだよ。
鑑 賞
  野原一面の薄(すすき)や茅(かや)の葉や茎に、露がついてきらきら光っている。そこに秋の野分の激しい風が吹きこんで、露が吹き飛ばされていく。まるでネックレスがほどけて、真珠がぱらぱらとこぼれ散っていくように。この歌は、激しい風に吹き飛ぶ水滴を、ほどけた真珠が散るさまに見立てた美しい歌です。97番・定家もこの歌を気に入っていて、自分の秀歌集にしばしば選び高く評価しています。平安時代には、真珠の玉に穴を開けて緒(お=ひも)を通して輪にし、身につけることが好まれていました。露を「はじけ飛ぶ真珠」と動的な比喩にしたところに作者の感性が光ります。「露」は命や涙を暗示する歌語です。なすすべもなく風に散らされていく姿は、幻想的でありなら、どこか悲恋を連想させて、寂しさを感じます。
止
下の句 上の句
ことば
【白露(しらつゆ)に】
「白露」は、草の葉の上に乗って光っている露、水滴のことです。「白(しら)」は、清らかさを強調する語で、「清祥とした露」というようなイメージです。
【風の吹きしく】
 「しく」は「頻く」と書き、「しきりに~する」という意味です。全体で「風がしきりに吹いている」という意味になります。
【秋の野は】
 「は」は強調の係助詞で、「ここだけ」「この季節だけ」というように、この歌に詠まれているような情景が秋だけのものであると強調する役目があります。

【つらぬき留(と)めぬ】
 「ひもを通して結びつけていない」という意味になります。数珠のように、穴を空けたたくさんの玉を糸で通して結んでいるようなものをイメージすると分かりやすいでしょう。「留めぬ」の「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形です。

【玉ぞ散りける】
 「玉」は真珠という説が強いです。平安時代はいくつもの真珠に穴を開けて緒に通して、アクセサリーとして大切にしました。風に吹き散らされて翔ぶ草の露を、真珠のネックレスの緒がほどけて飛び散った様子に「見立て」ています。「けり」は感動を表す助動詞。
●滋賀県東近江市にある押立神社(おしたてじんじゃ)は、文室氏(ふんやうじ:文屋とも表記していた)が氏神とした押立大明神を祀っています。宮司さんは文屋康秀の子孫にあたる方だそうです。鳥居左手前に父・康秀と息子・朝康の歌碑があります。 ●「玉」を英訳する場合は、水晶のcrystal(クリスタル)より真珠を表すpearl(パール)が多いようです。また、白露の一瞬の輝きをdiamond(ダイアモンド)として訳しているものもあります。
作品トピックス
●97番・定家は、露を緒で貫いた白玉の輝きとする見立て(隠喩:~のような、~のごとき、という比喩を示す語を入れない例えのこと)を評価して、「近代秀歌」や「詠歌大概」などの歌論書の秀歌例として引用しています。「風の吹きしく」や「つらぬきとめぬ」の表現も朝康独自の表現で、風が白露を散らす動的な美しさをとらえています。
●97番・定家は、「白露に」の本歌取りを2首作っています。「手作りや さらす垣根の 朝露を つらぬきとめぬ 玉川の里」と、「むさし野に つらぬきとめぬ 白露の 草はみながら 月ぞこぼるる」です。
●三重県四日市市にある使用を幸福村公園の歌碑には朝康の姿が描かれています。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「白露に」の歌碑は、 奥野宮地区の野宮神社のそば、竹林に囲まれたエリアにあります。