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(いせのたいふ)
<990年~1070年頃> |
祖父は49番・大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)、父は正三位神祇伯・大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)で、代々歌詠みの家系として知られていました。上東門院彰子に仕え、定子のいとこ・高階成順(たかしなのなりのぶ)と結婚し、2男3女に恵まれました。康資王母(やすすけおうのはは)など3人の娘はいずれもが勅撰歌人となっています。 |
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『詞花集』春・29 |
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その昔、奈良の都で咲いた八重桜が、今日は九重の宮中で、いっそう美しく咲き誇っております。 |
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詞書には、「一条院の御時、奈良の八重桜を、人の奉りて侍りけるを、そのおり、御前に侍りければ、その花をたまひて(題材にして)、「歌詠め」と仰せ言ありければよめる」とあります。作者の伊勢大輔は、奈良の興福寺(こうふくじ:藤原氏の氏寺)から宮中に毎年届けられる八重桜の献上品を、宮中で受け取る役に抜擢されました。その時、藤原道長からその花を題にして歌を詠めと命じられて即興で詠んだのがこの歌です。「いにしえの古都、奈良の都の八重桜が、九重の宮中で見事に咲き誇っています」と桜の美しさをたたえながら、「かつての奈良の栄華をしのばせる八重桜ですが、今の一条帝の御世はさらにいっそう美しく咲き誇っています」と花に託して、今の宮中の繁栄をほめたたえた、見事な歌だといえます。「奈」は「七」と掛り、「八重」「九重」に続き、「いにしへ(古)」と「けふ(今日)」、「奈良」と「京」の対比、「いにしへの 奈良の都の」「の」音を重ねた調べに、参列者は深く感嘆したと伝えられています。作者は硯の墨をすりながら歌を考え、すり終わるとすぐにこの歌を書き上げたと伝えられています。 |
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【いにしへの奈良の都】
「いにしへ」は「古き遠い時代」の意味。この歌が詠まれた時、すでに奈良の都は元明天皇から光仁天皇までのほぼ70年間にわたって都があった古都のイメージがありました。
【八重桜】
桜の品種のひとつで、花弁がたくさん重なり合う大きな花をつけます。この歌は当時京都では珍しかった八重桜が奈良から京都の宮中へ献上されるときに歌われたものです。
【けふ】
「今日」という意味で、「いにしへ」に照応しています。
【九重に】
「宮中」の意味で、昔中国で王宮を九重の門で囲ったことからこう言われています。「八重桜」に照応した言葉です。
【にほひぬるかな】
「色美しく咲く」の意味で、「にほひ」といっても香りではなく見た目の照り輝くような美しさを表します。「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形で、「かな」は詠嘆の終助詞。 |
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●八重桜は桜の品種のひとつで、花弁がたくさん重なり合う大きな花をつけます。宮中に届けられた八重桜は平安時代の京都では見かけない品種で、奈良特有の桜だったようです。 |
●平安京・大極殿跡は上京区千本通丸太町上ル、市バス千本丸太町すぐの児童公園内に「大極殿遺跡」の石碑があります。 |
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●作者は、一条天皇の中宮彰子に仕えていました。この時の様子が「伊勢大輔集」や「袋草紙」にはさらに詳しく記されています。寛弘4年(1007)の4月のことと考えられます。伊勢はこの時、奈良から宮中に届けられた八重桜の献上品を、宮中で受け取る役を先輩の57番・紫式部(大輔より10歳ほど年上)から譲られたばかりで、宮中では新参者でした。祖父も父も有名な歌人である中臣家の娘が、どんな歌を詠むのかと注目する中、伊勢はこの歌を披露し、歌人として華々しいデビューを飾ったのです。「殿(道長)を始め奉りて万人感歎、宮中鼓動す(道長をはじめ人々はとても感動し、宮中全体が鼓(つづみ)のようにざわめいた)」と伝えています。感激した中宮彰子が返歌を贈っています。「九重に 匂ふをみれば 桜がり 重ねてきたる 春かとぞ思ふ」(宮中(九重)に咲き誇る遅咲きの八重桜を見れば桜狩のよう。春が重ねて来たかと思いました。)実は中宮彰子の歌ではなく、紫式部の代作だといわれています。
●八重桜は平安時代の京都では見かけない品種で、奈良特有の桜だったようで、兼好法師の「徒然草」に「八重桜は奈良の都にのみありけるを、このごろぞ世に多くなりはべりけり」と記されています。「いにしへの」の歌は、「あをによし 奈良の都は 咲く花の 匂ふがごとく 今盛りなり」(奈良の都は咲く花が照り輝くように今真っ盛りだ。「万葉集」小野老朝臣)と「ふるさとと なりにし奈良の 都にも 色はかはらず 花は咲きけり」(すでに廃都となった平城京なのだが、色だけは変わらず花は咲くものだ。「古今集」平城天皇)をふまえています。 |
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●伊賀市与野にある花垣神社の八重桜は、珍しい花を咲かせるとして奈良時代に都へ献上され、平安時代になって株分けされて地元に戻りました。 |
●花垣の八重桜にかかわる和歌・俳句や縁起絵巻が掲示されています。 |
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