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(ふじわらのみちのぶあそん)
<972年~994年> |
法住寺太政大臣・藤原為光(ためみつ)の3男で、母は45番・藤原伊尹(これただ)の娘です。叔父の関白藤原兼家(かねいえ)に愛されて養子となり、若くして従四位上・左近衛中将(さこんえのちゅうじょう)にまで昇進しました。和歌の才能にも恵まれた美しい貴公子で、55番・藤原公任、51番・藤原実方、信方らと親交が深かったのですが、天然痘により、23歳の若さで亡くなりました。 |
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『後拾遺集』恋二・672 |
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夜が明けてしまうと、やがてまた日が暮れて夜になる(そして、あなたに逢える)とは分かっているのですが、それでもやはり恨めしい夜明けです。 |
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詞書には「女のもとより雪降りはべる日帰りてつかわしける」とあり、「後朝(きぬぎぬ:男女が共寝をした翌朝)」の歌です。男が女の元に通うのが、平安時代の貴族にとって一般的な恋愛の形式で、その後には「後朝の歌」を贈るのがきまりでした。作者は恋人と一夜を過ごした後、雪の降る明け方に離れがたく思いながら自分の家へ戻り、さっそくこの歌を贈ったのでしょう。逢えた喜び、満たされた思いで詠まれた二首一連の作です。離れ離れで過ごす日暮れまでの時間は、恋人たちにとって果てしなく長く感じられるものです。一年で一番短い冬の昼の間さえ待てないという、別れのせつなさを歌いながら、若さゆえの一途な情熱を感じさせる一首です。「ら」音を多用したなだらかな調べも魅力的です。 |
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【明けぬれば】
「夜が明けてしまえば」の意味です。完了の助動詞「ぬ」の已然形に接続助詞「ば」がついて確定を表します。
【暮るるものとは】
「日は必ず暮れて(またあなたと逢える)」の意味です。
【知りながら】
「(心では)分かっているものの」という意味で、「ながら」は逆接の接続助詞です。
【なほ】
「そうは言うものやはり」の意味の副詞です。
【朝ぼらけ】
「明け方」「辺りがほのぼのと明るくなってきた頃」の意味です。冬や秋の朝について用いられます。同じ頃を「あけぼの」ともいいますが、こちらは春に用います。恋歌ではおおむね、一緒に夜を過ごした男女が別れる、男が女のもとから立ち去る頃を暗示しています。 |
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●詞書には「女のもとより雪降りはべる日帰りてつかわしける」とあり、雪の降る明け方に離れがたく思いながら自分の家へ戻り、さっそくこの歌を贈ったのでしょう。 |
●朝ぼらけは、明け方、辺りがほのぼのと明るくなってきた頃です。冬や秋の朝について用いられました。 |
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●もう一首の後朝の歌は「かへるさの 道やはかはる かはらねど とくるにまどふ 今朝のあは雪」(帰り道は行きとは変わるものでしょうか。そんなはずはないけれど、いつもよりも打ち解けてくれたあなたを思うと、朝の別れがひとしお身にしみ、悲しい今朝の雪道よ)です。女性の心を淡雪に例えて、雪がとけたためにいつもの道と様子が違っている情景に重ねて、心の乱れを表現しています。 |
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●和歌の才能に恵まれた美しい貴公子であったようです。 |
●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「明けぬれば」の歌碑は、亀山公園にあります。 |
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