夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ ★知性が光る歌のやり取り、清少納言VS大納言行成★ 百首 一覧
清少納言
(せいしょうなごん)
<966年頃~1025年頃>
36番・清原深養父(きよはらのふかやぶ)のひ孫で、42番・清原元輔(もとすけ)の娘です。本名は諾子(なぎこ)とも推定されています。漢学者の家系で、子供の頃から天才ぶりを発揮しました。橘則光(たちばなののりみつ)と結婚して則長(のりなが)を生みましたが、離婚後、中宮定子(ていし)に仕えました。宮廷生活の記録などを記した随筆「枕草子」からは、彼女の鋭い観察眼がうかがえます。 出展 『後拾遺集』雑・940



現代語訳

 夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴きまねをして人をだまそうとしても、函谷関(かんこくかん)ならともかく、この逢坂の関は決して許しません。(私は決して逢いませんよ)
鑑 賞
  清少納言が大納言藤原行成(ゆきなり)に贈った社交の歌です。漢詩文の教養をふまえた機知に富む2人のやりとりは宮中で話題になったと、「枕草子」に記されています。それによると、ある夜、清少納言のもとで深夜まで話をしていた藤原行成が、「物忌(ものい)み」のため急いで帰宅した翌朝、「本当は夜通しいたかったのですが、鶏の鳴き声にせかされて」と恋人に送る後朝(きぬぎぬ)のような手紙をよこします。清少納言は「深夜鳴く鶏の声とは、中国の函谷関(かんこくかん)の故事にある、うそ鳴きの鶏ですか。」と答えます。「函谷関の故事」というのは、中国の歴史書「史記」にあります。秦国に入って捕まった孟嘗君(もうしょうくん)が逃げるとき、一番鶏が鳴くまで開かない函谷関の関所を、部下に鶏の鳴きまねをさせて開けさせたという話です。それに対して行成は「逢坂は 人越えやすき 関なれば 鶏鳴かぬにも 開けて待つとか」と戯れて返してきたのです。「関は関でも、あなたに逢いたい逢坂の関ですよ。」と、男女の逢瀬(おうせ)を連想させて、誘ったわけです。そこで詠まれたのがこの歌です。「鶏の鳴きまねでごまかそうとも、この逢坂の関は絶対開きませんよ。(あなたの誘いにはのりませんよ)」という意味です。即座にこれだけの教養を盛り込んだ歌を返すとは、ずば抜けた知性を感じさせます。
※「物忌み」とは、暦で定められた一定期間、飲食や日常活動などを制限して家にこもることです。
止
下の句 上の句
ことば
【【夜をこめて】
 動詞の連用形「こめ」は、もともと「しまい込む」とか「包みこむ」などの意味です。「夜がまだ明けないうちに」という意味になります。
【鳥の空音(そらね)は】

 「鳥」は「にわとり」で、「空音」は「鳴き真似」のことです。

【謀(はか)るとも】

 「はかる」は「だます」という意味になります。「とも」は逆接の接続助詞で「~しても」という意味です。「鶏の鳴き真似の謀ごと」とは、中国の史記の中のエピソードを指しています。

【よに逢坂(あふさか)の関は許(ゆる)さじ】

 「よに」は「決して」という意味です。「逢坂の関」は男女が夜に逢って過ごす「逢ふ」と意味を掛けた掛詞です。「逢坂の関を通るのは許さない」という表の意味と「あなたが逢いに来るのは許さない、恋愛関係にはなりません」という意味を掛けています。
逢坂関は、東海道で京都への東からの入り口とされ、古くから交通の要所でした。8世紀の終わりには関所が置かれています。逢坂の関の跡は、京都からほど近い滋賀県大津市にあります。 ●逢坂の関記念公園内に「夜をこめて」の歌碑があります。逢坂にちなんだ10番・蝉丸の歌碑、25番・三条右大臣の歌碑と並んでいます。
作品トピックス
●平安時代に男性が女性の家から帰るのは寅(とら)の刻(午前3時)を過ぎてからでした。行成はそれより早い子(ね)の刻に帰って、翌朝「本当は夜通しいたかったのですが、鶏の鳴き声にせかされて」と言ってきたので、鶏の鳴きまねをして早く関を開けさて脱出したという「史記」の故事をふまえて「深夜鳴く鶏の声とは、中国の函谷関(かんこくかん)の故事にある、うそ鳴きの鶏ですか.」と、清少納言は答えたのです。
●「紫式部日記」には、清少納言について「やたらに漢文の知識をひけらかすので困る」と悪口が書かれています。「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人。さばかりさかしだち、真名(まな)書きちらしはべるほども、よく見れば、まだいたらぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行末(ゆくすゑ)うたてのみはべれば、艶(えん)になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるにはべるべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよくはべらむ。」(清少納言は得意顔をして偉そうにしていた人です。あれほど利口ぶって漢字を書きちらしておりますが、その程度はよく見ればまだひどく足りない点が多くあります。このように人より特別に優れようと思い、またそうふるまいたがる人は、きっと後には見劣りがし、ゆくゆくは悪くばかりなっていくものですから、いつも風流ぶっていてそれが身についてしまった人は、まったく殺風景でつまらないときでも、しみじみと感動しているようにふるまい、興あることも見逃さないようにしているうちに、自然とよくない軽薄な態度にもなるのでしょう。そういう軽薄なたちになった人の行く末が、どうしてよいことがありましょう。) かなり手きびしく批判しています。
●三重県四日市市にある昭和幸福村公園にの歌碑には清少納言の姿が描かれています。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「夜をこめて」の歌碑は、亀山公園にあります。