このたびは 幣も取りあへず 手向山  紅葉のにしき 神のまにまに ★梅、桜、紅葉に思いを託して―学問の神様、菅原道真★ 百首 一覧
菅家
(かんけ)
(845年~903年)
学問の神様・菅原道真(すがわらみちざね)のことです。昌泰2(899)年には54歳で右大臣に出世します。学者の出身者が大臣になるのは、140年ぶりの大抜擢でした。しかし、左大臣、藤原時平(ときひら)によって、謀反(むほん)の疑いで、大宰権帥(だざいのごんのそち)として九州に左遷されました。道真の追放にかかわった人々に不幸が続いたため、世間の人々は道真の怨霊だとおそれました。 出展 「古今集」羈旅 ・ 420



現代語訳

 今回の旅は急なことで、道祖神に捧げる幣(ぬさ)も用意することができません。そのかわり、手向山(たむけやま)の紅葉を捧げるので、神の御心のままにお受け取りください。
鑑 賞
 
この歌は、道真の才能を買って右大臣にまで取り立てた宇多上皇(朱雀院)の宮滝御幸の時に詠まれた歌です。宮滝(現在の奈良県吉野郡吉野町)から竜田川を越えて、河内に入り、住吉神社に参拝して京に戻るという盛大な御幸だったようで、道真ら歌人も多数お供しました。旅の途中、手向山の峠で道祖神(旅の安全を守る神)に祈り、しばらく休息をとったのでしょう。お参りする時に捧げる幣(ぬさ:色のついた絹を細かく切ったもの)の代わりに、美しく色づいた紅葉を神に捧げます、という歌です。「急な御幸のため、幣の用意ができなかった」と詠んでますが、紅葉の美しさを称えるための表現でしょう。私の用意した幣よりも、目の前に広がる紅葉のほうが何倍もすばらしいお供えになりますというわけです。「紅葉の錦」という言葉から、赤、黄色に彩られた峠の美しさが目に浮かんできます。
止
下の句 上の句
ことば
【このたびは】
「たび」は「旅」と「度」の掛詞で、「今度の旅は」という意味になります。
【幣も取りあへず】

「幣(ぬさ)」は色とりどりの木綿や錦、紙を細かく切ったもの。旅人は、色とりどりの布を袋に入れて持ち歩き、旅の途中で無事を願って道祖神にお参りするときに捧げました。「取りあへず」は「用意するひまがなく」という意味になります。

【手向(たむけ)山】

山城国(現在の京都府)から大和国(現在の奈良)へと行くときに越す山の峠を指し、さらに「神に幣を捧げる」という意味の「手向(たむ)け」が掛けてあります。
【紅葉の錦】
紅葉を錦に見立てるのは、漢詩的発想で、「古今集」にはこの歌にしか見られない比喩表現です。

【神のまにまに】

「神の御心のままに」というような意味になります。
●この歌に出てくる「手向山」は、御幸の旅程からすると、大和と山城の境のあたりという説、奈良の若草山の南にある手向山八幡宮のことだとする説もあります。 ●手向山八幡宮は奈良市街東部の手向山麓に位置し、紅葉の名所として知られています。境内に、菅原道真の腰掛石と歌碑があります。
作品トピックス
●龍田山で作られた道真の漢詩も有名です。「満山ノ紅葉ハ心機ヲ破ル 况(イハ)ンヤ浮雲ノ足下二飛ブニ遇(ア)ヘルヲヤ 寒樹ハ何処(イヅク)ニ去レルカヲ知ラズ 雨中ニ錦ヲ衣(キ)テ故郷ニ帰ル」
●「古今集」には、「このたびは」の道真の歌の次に、宇多上皇に召し出された良因院に住む21番・素性法師の歌が載せられています。「手向けには つづりの袖も 切るべきに 紅葉に飽ける 神や返さむ」(どうしても必要とあれば、私のこの破れ衣だって切ってお供えしなければならぬでしょうが、この全山の紅葉に飽きていらっしゃる神様は、私のお供えなんかお返しくださるでしょう。) 
●「幣(ぬさ)」は神に祈る時に捧げ、また祓(はら)いに使う、紙・麻などを切って垂らしたものです。旅人は、色とりどりの布を袋に入れて持ち歩き、旅の途中で無事を願って道祖神にお参りするときに捧げました。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「このたびは」の歌碑は、亀山公園にあります。