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(ぶんやのやすひで)
<生没年年不詳 |
800年代後半に活躍した平安初期の歌人です。官職は低かったのですが、六歌仙の一人として有名でした。37番・朝康の父です。9番・小野小町とも親交があったらしく、その逸話は有名です。勅撰集への入集は6首のみで、「吹くからに」の歌は息子の朝康の作だというのが通説になっています。 |
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「古今集」秋下 ・249 |
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山から秋風が吹くと、たちまち秋の草木がしおれるので、なるほど、だから山風のことを「嵐(荒らし)」というのであろう。 |
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山から秋風が吹き降りてくれば、とたんに次々と草木が枯れ萎えてしまう。なるほど、だから山風のことを草木を荒らす「荒らし」「嵐」と言うのか。秋の夜に吹き荒れる激しい風の音を思い浮かべながら、康秀はこの「嵐」の歌を詠んだのでしょうか。漢字の「山」と「風」を組み合わせると「嵐」になります。この歌はそうした言葉遊びを取り入れながら、山を転がり落ちてくる晩秋の激しい風の様子を鮮やかにイメージさせます。詞書には「是貞(これさだ)の親王(みこ)の家の歌合の歌」とあります。言葉遊びは当時の人々に好まれていたいたようです。歌会にふさわしく、康秀の機知に皆は感心したことでしょう。「古今集」の秋歌下の巻頭を飾る名誉を与えられましたが、この歌は息子の37番・朝康の作であったらしく、定家の時代には康秀か朝康か、2通りの考え方があったようです。 |
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【吹くからに】
「吹くとすぐに」という意味です。「からに」は複合の接続助詞で、「~するとすぐに」という意味を表します。
【しをるれば】
「しをる」は草木が色あせてしおれる意味の動詞で、その已然形に原因・理由を表す接続助詞「ば」が付いています。
【むべ】
「なるほど」と言う意味の副詞。上の句で示された根拠を踏まえ「なるほど、だから山風を嵐と言うのか」と理由を推理して納得しています。
【山風】 山から降りてくる強い風で、晩秋に吹き、冬を予感させます。
【嵐といふらむ】
「らむ」は推量の助動詞で、「嵐と言うのだろう」という意味になります。「嵐」は「荒らし」との掛詞で、秋の草木を荒らして枯れさせるので「アラシ」と言うのだろうなあ、という意味があります。また「山」と「風」の漢字2文字を合わせれば「嵐」になるという遊びも盛り込まれています。 |
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●滋賀県東近江市にある押立神社(おしたてじんじゃ)は、文室氏(ふんやうじ:文屋とも表記していた)が氏神とした押立大明神を祀っています。宮司さんは文屋康秀の子孫にあたる方だそうです。 |
●鳥居左手前に父・康秀と息子・朝康の歌碑があります。 |
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●「山+風=嵐」「木+毎=梅」など、2つの字を組み合せてできた漢字をうまく詠みこんで詩を作る方法は、中国で流行しました。それならって、日本の歌人も文字遊びの歌を作っています。33番・紀友則の次の歌もそうです。「雪降れば 木毎(きごと)に花ぞ 咲きにける いづれを梅と わきて折らまし」(雪が降ったので、木毎に白い花が咲いたようです。どれが梅だと区別して、折ったらいいのでしょう。「古今集」)「古今集」ではこの言葉遊びの面白さが評価されたのでしょう。
●定家は、移り変わる季節の中に、激しい嵐の音と、風にもてあそばれる草木の情景に美しさを見ているようです。秋の草木は萩や楸(ひさぎ)でしょうか。 |
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●激しい嵐の音と、風にもてあそばれる草木の情景が目に浮かびます。秋の草木は萩や楸(ひさぎ)でしょうか。 |
●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「吹くからに」の歌碑は、 亀山公園にあります。 |
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