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(あかぞめえもん)
<958年頃~1041年までは生存> |
赤染時用(あかぞめときもち)の娘と言われていますが、実父は平兼盛だという説もあります。藤原道長の繁栄を描いた「栄花物語」正編の作者だとされています。中宮彰子(しょうし)に仕え、大江匡衡(おおえのまさひら)と結婚し、2人の子どもを生みました。良妻賢母のお手本とされてきました。中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人です。 |
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『後拾遺集』恋・680 |
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ためらわないで、寝てしまえばよかったのに。(あなたを待っているうちにとうとう)夜が更けて、西の山に傾いて沈んでいこうとする月を見てしまいましたよ。 |
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詞書に、「中関白(なかのかんぱく)、少将に侍りける時、はらからなる人に物言ひわたり侍りけり。頼めて来ざりけるつとめて、女に代わりて詠める」とあります。関白・藤原道隆(みちたか)が少将だった、24、25歳頃、赤染衛門の姉妹に「今晩行くよ」と約束しながらやって来ませんでした。その翌朝、姉妹に代わって詠み送ったのがこの歌だ、ということです。約束を破った男をストレートに非難して恨みをぶつけるのではなく、「月を眺めながら一晩過ごしてしまいました」と、恋人の言葉を信じて待ち続けた女のせつなさがさりげなく伝わる表現をしています。作者が10代末頃の作だといいます。道隆と言えば54番・儀同三司母の夫ですが、冗談が好きな明るい性格で女性にもてたそうです。正妻を持ちながら多くの愛人がいました。月という道具立てを生かし、姉妹の気持ちを丁寧にくみ取った歌です。 |
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【やすらはで】
「やすらふ」は「ためらう」とか「ぐずぐずする」という意味になります。「で」は打消しの言葉なので、「ためらわないで」という意味になります。
【寝なましものを】
「まし」は反実仮想(はんじつかそう:現実には起こらなかったことを、もし起こればと想像すること)の助動詞で、「ものを」は逆接の接続助詞です。ここでは「もしあなたが来ないことが分かっていたら」と現実と反対のことを想像して、「寝てしまっただろうに」と言っています。
【さ夜ふけて】
「さ」は言葉の調子を整えるための接頭語で、全体で「夜は更けて」という意味になります。
【傾(かたぶ)くまでの】
「傾(かたぶ)く」は、月が西の山に傾くこと。月は夜の早いうちに東から昇って夜明け前に西に沈んで行きますので、「夜明けが近づいた」という意味になります。「まで」は事柄が至り及ぶ限界を表す副助詞で、全体として「月が西に沈むまでの」という意味になります。
【月を見しかな】
「見し」は「見た」と訳します。「し」は確実に体験した過去を表します。「かな」は詠嘆の終助詞で「月を見たことですよ」という意味になります。 |
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●和泉式部と並び王朝を代表する歌人で、良き妻、良き母としての説話が多く残っています。赤染衛門歌碑公園には、夫・匡衡の「はつ雪と おもほえぬかな このたびは
猶ふる里を おもひいでつつ」という和歌と、赤染衛門の「めづらしき ことはふりずぞ 思ほゆる 行きかへり見る ところなれども」という返歌の2首が仲良く刻まれた歌碑があります。(愛知県稲沢市国府宮) |
●「月を眺めながら一晩過ごしてしまいました」という表現から、恋人の言葉を信じて待ち続けた女のせつなさが伝わってきます。 |
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●「後拾遺集」には、「やすらはで」と同じように藤原道隆への代作の歌が記されています。「中関白少将に侍りける時、内の御物忌(ものいみ)に籠(こも)るとて、月の入らぬさきにと、急ぎ出で侍りければ、つとめて女に代りてつかはしける」という詞書で、「入りぬとて 人のいそぎし 月かげは 出でてののちも ひさしくぞ見し」(「月が入ってしまうから、それ以前に参内せねば」と言って、あなたは急いで私の家から出て行かれましたが、私はそれ以後も長い間あなたのお戻りをお待ちして月を見ていました。)と詠んでいます。
●物忌とは占いや暦が凶である時や、夢見の悪い時などに家にこもることです。物忌だからと急いで出て行った男を待ってずっと月を眺めていた寂しさを、翌朝歌に託して届けたのです。しかし、道隆の心をつなぎとめることはできなかったようです。 |
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●この歌は赤染衛門が姉妹に代わって詠んだ歌です。送ったのは関白・藤原道隆(みちたか)が少将だった、24、25歳頃のことです。 |
●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では100基の歌碑めぐりを楽しめます。「やすらはで」の歌碑は、亀山公園にあります。 |
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