有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする ★「そよそよ」と笹原を吹き渡る風の音のように、心変わりはどなた?★  百首 一覧
大弐三位
(だいにのさんみ)
<999年頃~1070年か1082年頃>
57番・紫式部の一人娘、藤原賢子(ふじわらのかたいこ・けんし)のことです。母の紫式部同様、一条天皇の中宮彰子に仕え、越後弁(えちごのべん)と呼ばれていました。藤原兼隆(かねたか)の妻になり、親仁親王(のちの後冷泉天皇)の乳母(めのと)に選ばれます。高階成章(たかしなのしげあきら・なりあき)と再婚したので、大弐三位と呼ばれました。 出展 『後拾遺集』恋二・709



現代語訳

 有馬山に近い猪名(いな)の笹原に風が吹くと、笹の葉がそよそよと音をたてます。まったく、そよ(そうですよ)。どうして私があなたのことを忘れたりするものですか。
鑑 賞
  詞書には「離れ離れ(かれがれ)なる男『おぼつかなく』など言ひたりけるに詠める」とあります。しばらく訪ねてこなかった男から、「あなたの心変わりが不安です」と言い訳がましい手紙が届きました。疎遠(そえん)になったことを棚(たな)に上げて、浮気を疑う男に「そうそう、そのことですよ。心変わりを心配しているのは、私の方です。私があなたを忘れるはずがありません。」と、逆に男にきっぱりと言い返しているのです。身勝手な男の言いぐさに対して、笹原に風が吹く時、「そよそよ」と音を立てるのに引っかけて「そよ(それですよの意味)」という言葉を導き出して、嫌みを言ったわけです。「ありまやま いなのささはら かぜふけば」とア段の音を多用した序詞の優雅な調べが、強気な内容をやさしく包みこんでいます。
止
下の句 上の句
ことば
【有馬山】
 摂津の国・有馬郡(現在の兵庫県神戸市北区有馬町)にある山です。昔から猪名(いな)とはセットでよく歌に詠まれます。
【猪名(いな)の笹原】
 有馬山の南東にあたる、摂津の国猪名川に沿った平地。現在の兵庫県尼崎市・伊丹市・川西市あたりになります。昔は、この辺りは当時、一面に笹が生えていました。
【風吹けば】

 風が吹いたら。有馬山から風吹けば、までの上の句全体は、下の「そよ」という言葉を引き出すための「序詞(じょことば)」です。

【いでそよ】

 「いで」は「いやはや、まったく」などの意味の副詞。「そよ」は笹がたてるさらさらという葉ずれの音を示すとともに「そうよ」だとか「そうなのよ!」などの意味もあります。二重の意味を持つ「掛詞(かけことば)」です。シャレのようなものですが、短歌では重要なテクニックのひとつです。

【人を忘れやはする】

 「人」はこの場合、相手の男のことで、「やは」は反語の助詞。どうしてあなた(人)を忘れることができるでしょう、いや、忘れませんよ、というような意味です。
●京都市上京区にある廬山寺(ろざんじ)は紫式部の邸宅跡として知られています。ここで大弐三位も成長しました。 ●「猪名(いな)」は兵庫県南東部の猪名川の両岸に広がる平地で、一面の笹原でした。現在の伊丹市・川西市の付近で、大阪国際空港があります。東リ株式会社の伊丹工場の敷地内には、小規模ですが竹藪と旧跡伊那の笹原の看板が立っています。昆陽池公園内に「有馬山」の歌碑があります。
作品トピックス
●「万葉集」に「しなが鳥 猪名野を来れば 有馬山 夕霧立ちぬ 宿(やど)りはなくて」(猪名野を来ると、有馬山に夕霧が立ってきた、泊まるべき所もなくて。巻7・作者未詳)と詠われているように、「猪名」と「有馬山」は一対にして詠まれたようですが、それほど有名な歌枕ではありません。なぜ摂津の歌枕が選ばれたのは分かっていません。相手の男性に関連する土地ではという説もあります。
●平安後期以降は、晩秋から初冬にかけての寂しい猪名野が多く詠まれています。97番・定家の本歌取りに「もろともに 猪名のささ原 道たえて ただふく風の 音にきけとや」(「拾遺愚草」)とあるように、風の吹くささ原の荒涼としたイメージが与えられたようです。
●娘・大弐三位の「有馬山」、母・紫式部の「めぐり逢ひて」の歌碑は、廬山寺境内にあります。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「有馬山」の歌碑は、亀山公園にあります。