名にしおはば 逢坂山の さねかづら  人に知られで くるよしもがな ★「さねかづら」―つる草に思いをこめて伝えたい★ 百首 一覧
三条右大臣
(さんじょううだいじん)
(873年~932年)
内大臣・藤原高藤(たかふじ)の次男、藤原定方(さだかた)のことです。右大臣となり、京の三条に邸宅があったのでこの名で呼ばれています。宇多上皇・醍醐天皇の側近として政府の要職を歴任し、娘)は醍醐天皇の女御となり三条御息所と称されました。和歌の他、管弦の才能もあり、醍醐天皇の宮廷の人気者であったといいます。息子は44番・藤原朝忠です。 出展 「後撰集」恋 ・ 701



現代語訳

 逢坂山のさねかずらが、「逢って寝る」という名をもっているのならば、そのさねかずらをたぐり寄せるように、誰にも知られずあなたのもとへ行く方法があればいいのだがなあ。
鑑 賞
 
詞書に「女のもとにつかはしける」とあり、人目を忍ぶ恋を詠んだ歌です。この歌のポイントは「さねかずら」です。もくれんの仲間のつる草で、昔は茎を煮て整髪料を作ったといいます。そのため、美男葛(びなんかずら)と呼ばれていました。さねかずらは「小寝(さね)」、一緒に寝て愛し合うことに掛けられた言葉です。また、「繰る」も「来る」と掛けられた、さねかずらの縁語です。逢坂山に生えているさねかずらのつるを巻き取って引っ張れば、ツタの先に恋しいあの人がついてきたらなあ、と歌っています。誰にも知られないように、恋しい相手と連絡を取る方法が欲しいというわけです。恋の状況が困難であることが伝わってきます。平安時代には、季節の草木や花などをそえて歌を贈るという風習がありました。この歌にさねかずらの一枝をそえて恋人に届けられたのではないでしょうか。
止
下の句 上の句
ことば
【名にし負(お)はば】
「名に負(お)ふ」は「~という名前をもつ」という意味です。「し」は強意の副助詞で、動詞「負(お)ふ」の未然形に接続助詞「ば」がつき仮定を示します。「名に背かぬなら」という意味になります。
【逢坂山(あふさかやま)】 山城国(現在の京都府)と近江国(現在の滋賀県)の国境にあった山で関所がありました。「逢ふ」との掛詞になっています。
【さねかずら】
つる性の植物で、夏に黄色い花が咲き、秋に赤い実をつけます。「小寝(さね=男女が一緒に寝ること)」との掛詞です。からまりまつわりつくさねがずらのイメージは、そのまま恋の苦しみや悩みを象徴するものでした。
【人に知られで】
「で」は打消の接続助詞で、「人」は「他の人」という意味です。「他人に知られないで」という意味になります。
【くるよしもがな】
「くる」は「来る」と「繰る」の掛詞です。「繰る」は「たぐり寄せる」という意味です。古語の「来る」は心を恋する女性の元に置き、そこに自分が近付く意味で、現代語の「行く」にあたります。「よし」は「方法」などの意味で、「もがな」は願望の終助詞になります。「あなたを連れて来る手だてが欲しいよ」という意味になります。
●この歌の舞台になっている「逢坂山」は、今の京都府と滋賀県大津市の境になっている坂道です。付近に高速道路が通り、逢坂の関記念公園(滋賀県大津市大谷町22)があります。 ●逢坂の関記念公園内には、逢坂にゆかりのある歌、10番・蝉丸や62番・清少納言とともに「何にしおはば」の歌碑があります。
作品トピックス
●「さねかづら」は「万葉集」の恋歌にも用いられている植物ですが、「逢坂山のさねかづら」というように結びつけて詠む表現はこの歌が最初です。「逢って一緒に寝る」という掛詞です。さらに、さねがつらの縁語として「来る」に「繰る」が掛けられると、さねかづらの長いつるを引っぱるように自分の手元に引き寄せるイメージが加わり、かなり性的な掛詞だといえます。
●古語の「来る」は、心を恋する女性のもとに置き、そこに自分の心や体が近付くという意味です。現代語でいえば「行く」にあたります。
●また、関蝉丸神社下社の境内には「真葛(さねかずら)」が育てられています。つる性の植物で、夏に黄色い花が咲き、秋に赤い実をつけます。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「何にしおはば」の歌は、 奥野宮地区の野宮神社のそば、竹林に囲まれたエリアにあります。