御垣守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ ★御垣守のたく火に託して―夜と昼、揺れ動く恋の思いとは?★ 百首 一覧
大中臣能宣
(おおなかとみのよしのぶ)
<921年~991年>
大中臣家は代々伊勢神宮の祭主(神官の長)を務める家柄です。父頼基(よりもと)の後を継ぎ正四位下神祇大副(じんぎのたいふ)になり、祭主となりました。息子の輔親(すけちか)、孫の61番・伊勢大輔(いせのたいふ)と、代々にわたって優れた歌人を出し、「重代の歌の家」と呼ばれました。「梨壺(なしつぼ)の五人」の一人としてとして、「万葉集」の訓読や「後撰集」の撰定にあたりました。三十六歌仙の一人です。 出展 『詞花集』恋上・22



現代語訳

 宮中の門を守る衛士(えじ)のたくかがり火が、夜は燃えて昼は消えているように、私の心も夜は恋の炎に身を焦(こ)がし、昼は消え入るように、たえずもの思いに悩むばかりです。
鑑 賞
  宮中の夜、諸国から集められ各門の番「御垣守(みかきもり)」をしている兵士が、あかあかとかがり火をたきます。平安時代の夜は、今のような街灯はないので深い闇の世界です。闇を照らすかがり火の美しさ、炎の動きには、人を誘うような独特の雰囲気があります。このかがり火を恋の火になぞらえた一首です。夜は恋人との逢瀬に心を燃やし、昼には消えて灰になるように、恋人のことが頭から離れずぬけがらのように思い悩む…。そして、これからも一日中、恋に焦(こ)がれる毎日が繰り返されるのです。「夜は…昼は」「燃え…消え」という対比によって、夜(赤いかがり火)と昼(かがり火が消えた黒・灰)の対照的なイメージによって、恋の激しさと苦悩を巧みに表現しています。
止
下の句 上の句
ことば
【御垣守(みかきもり)】
 宮中の諸門を警護する者のことです。
【衛士(ゑじ)の焚く火の】
 「衛士(ゑじ)」は一年交替でいろいろな国から招集される兵士のことで、ここでは御垣守を指しています。衛門府に属して、夜は篝火を焚いて門を守ります。そのほとんどは農民で、税を軽くしてもらう条件で仕事に就いたといいます。「焚く火」とは、その篝火のこと。「御垣守 衛士の焚く火の」までが序詞になります。
【夜は燃え 昼は消えつつ】

 「つつ」は反復・継続を表す接続助詞です。衛士の焚く篝火が、夜は燃えて昼は消える、ということを対句として表現しており、同時に「夜は恋心に身を焦がし、昼は物思いにふける」という自分の心を重ねて表現しています。

【ものをこそ思へ】
 「ものを思ふ」は、「恋をしてもの思いにふける」という意味で「思へ」は「思ふ」の已然形、「こそ」は係助詞で、「こそ…思へ」は強調の係り結びです。
●宮中には数多くの門があり、それを警護していたのが、御垣守と呼ばれた者で、歌の衛士も衛兵のことです。 ●平安宮の大内裏を囲む塀は「外重(とのえ)」と呼ばれ、内裏の外郭を囲む塀は「中重(なかのえ)」、さらにその内側にある内郭は「内重(うちのえ)」と呼ばれ、それぞれに門がありました。京都御所の南に位置する正門が建礼門です。
作品トピックス
●かがり火の鮮やかなイメージが好まれたのか、心に燃える恋の炎との連想から、この歌は慣用句のようによく引用されました。53番・道綱母が「蜻蛉日記」の中で、夫の兼家に向かい妻の思いを伝えるのに「衛士のたくはいつも」(衛士のたく火のように、私の思いの火は、いつも燃えていますわ)と答えています。また浄瑠璃・歌謡などにも引用されています。
●外郭十二門のうち西側にあるのが藻壁門です。 ●北面の安嘉門は右衛門府が警固を担当しました。