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(ふじわらのおきかぜ)
<9~10世紀> |
藤原道成(みちなり)の子どもで、「古今集」選者の35番・紀貫之らと同時代の人です。著名な歌合・歌会に参加したり、屏風歌を詠んだりするなど、宮廷歌人として活躍しました。三十六歌仙の一人で、紀貫之や29番・凡河内躬恒も一目おく存在でした。「古今集」に入集した歌のほとんどが「寛平御時后宮歌合」の歌であり、寛平年間(889年~898年)における名声の高さがうかがわれます。 |
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『古今集』春下・84 |
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年老いた私は、いったい誰を親しい友人としようか。あの長寿の高砂の松でさえ、昔からの友人ではないのだから。 |
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興風の歌は、同じ「古今集」の一首前にある歌「かくしつつ 世をや尽さむ 高砂の 尾上に立てる 松ならなくに」(私はこんな生活で一生を終わるのだろうか。高砂の尾上の年老いた松だというわけでもないのだが。)をふまえていると考えられています。古来、松は長寿の象徴でした。高砂は、住吉と並んで松の名所です。長生きは理想といえますが、長年の友人が一人また一人と亡くなっていき、ついには一人残されてしまった老いの悲しみを詠んだ歌です。「もう心を許せる友だちは誰もいなくなってしまった。いったい誰を友だちと呼べばいいのだろうか。昔を知っているのは今やこの高砂の浜辺の松くらいだが、その松とて昔からの友ではなく、心を持たない松に心を寄せてみても、しょせんはむなしいことなのに。」有名な歌枕で、おめでたいはずの高砂の松が、この歌では老いの孤独をいっそう引き立てるものとして用いられています。伝統的な歌枕のイメージを変えた点にこの歌の新しさがあります。 |
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【誰をかも】
次の「せむ」に掛かる連用修飾語で「誰をまあ、いったい……だろうか」というような意味です。「か」は疑問の係助詞で「も」は感情を込めて意味を強める係助詞です。
【しる人にせむ】
「親しい友達としよう」という意味です。「しる人」は自分をよく分かってくれる人のことです。「に」は動作の結果を表す格助詞で、「む」は意思を表す助動詞です。
【高砂の松】
高砂は播磨国加古郡高砂(現在の兵庫県高砂市南部)の浜辺で松の名所です。「古今集」仮名序にもその名前が記されています。松はいつも緑の葉をつけてるので、昔から長生きのシンボルとされてきました。
【昔の友ならなくに】
「昔からの友達ではないのに」という意味です。松は感情を持たない植物だから、昔からの友人ではないというような意味を含んでいます。「なら」は断定の助動詞「なり」の未然形で「~である」の意味、「な」は打消の助動詞「ず」の未然形で、「く」は「な」を体言化して、「なく」で「…ないこと」という意味になります。「に」は接続助詞で「…のに」の意味です。 |
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●高砂は兵庫県高砂市付近のことで、古くから松の名所です。高砂の浦は、現在高砂公園として整備されています。 |
●高砂神社境内に植えられた「相生(あいおい)の松」は、根が一つで雌雄2本の幹を持つ松で、尉(じょう:お爺さん)と姥(うば:お婆さん)の二神が宿る霊松とされました。そのため夫婦和合長寿(ふうふわごうちょうじゅ:夫婦仲良く長生き)を表す神木として知られています。現在は5代目の松です。 |
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●35番・紀貫之は「古今集」仮名序の中で、和歌の歴史について次のように記しています。「…松虫の音に友をしのび、高砂、住の江の松も、相生の様に覚え、…歌をいひてぞ慰めける。」(…鈴虫の声を聞いて友のことに思いをはせ、高砂・住江の松までが長年のなじみとして親しまれ、…歌を詠むことが唯一の慰めだったのであります。)と、生活のすべての場面で歌が詠まれ、人の心を慰めてきたと語っています。
●後に、世阿弥はこの一節を題材として能「高砂」を作りました。高砂と住吉の「相生の松」の化身である老夫婦が、和歌の道が久しく栄えていることを松の長生のめでたさになぞらえて語ります。「古今集」の雑歌には、松の長寿をたたえる和歌とともに、老人の孤独の悲しみを詠んだ歌が2首並んでいます。「かくしつつ 世をや尽(つく)さむ 高砂の 尾上に立てる 松ならなくに」(私はこんな生活で生涯を終わるのだろうか。高砂の尾上の年老いた松だというわけでもないのだが。)という読人知らずの歌と興風の歌です。
●「古今集」以降、この歌は興風の代表歌としてさまざまな歌集に取り上げられていましたが、若い頃の定家はそれほどこの歌にひかれなかったようです。しかし、百人一首を選定した74歳の頃には、老境の嘆きに深く共感したのだと思われます。
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●高砂市の曽根天満宮の歌玉垣に「誰をかも」の歌が刻まれています。 |
●高砂の松の碑は、三重県四日市市にある昭和幸福村公園内にもあります。 |
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