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(かまくらのうだいじん)
<1192年~1219年> |
鎌倉幕府を開いた源頼朝の2男、源実朝(みなもとのさねとも)のことです。母は北条政子です。11歳で3代鎌倉幕府将軍となりました。京都の宮廷文化に強くあこがれ、和歌と蹴鞠を特に好みました。97番・定家から「新古今集」を贈られたのをきっかけに、和歌の指導を受け、家集「金槐和歌集」を定家に献上しています。鶴岡八幡宮で、甥(おい)の公暁(くぎょう)に暗殺されました。 |
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『新勅撰集』羈旅・525 |
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この世の中は、常に変わらないでいてほしいものだなあ。波打ち際をこいでゆく漁師の小舟の、引き綱をあやつる景色が、しみじみと心にしみることだ。 |
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世の中が変わらずにあってほしいという願いと、日常の何気ない風景を重ねあわせた巧みな構成の歌です。常を願う裏側には、世間の無常への嘆きがありました。父・頼朝の死後、北条氏との権力争いの中で追放され、惨殺された兄・頼家、その後を継いで征夷大将軍になった自分の将来への不安…。感受性豊かで優しすぎる性格ならば、政治の世界のまっただ中にいる毎日は、さぞやストレスがたまるものだったでしょう。この歌は「万葉集」の「川上(かはのへ)の ゆつ岩群(いはむら)に 草生(む)さず 常にもがもな 常乙女(とこをとめ)にて」と、「古今集」の「陸奥(みちのく)は いづくはあれど 塩釜(しほがま)の 浦こぐ舟の 綱手(つなで)かなしも」の本歌取りですが、実朝自身が鎌倉の浜辺で見た情景ではないでしょうか。「かなし」は身近なものに対して心を揺り動かされたり、趣深いものに心ひかれるさまを言います。汗を流しながら無心に綱手を引く漁師たちの姿は、生きる気力に満ちたものです。愛おしく、まぶしく感じられたのでしょう。22歳になるまでに詠んだ歌だと考えられています。海を眺めながら穏やかな日常の平和を願った実朝ですが、28歳で暗殺されました。 |
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【世の中は】
「世の中」は、「今自分が生きているこの世界」という意味です。
【常にもがもな】
「常に」は形容動詞「常なり」の連用形で「永遠に変わらない」という意味です。「もがも」は難しいことが叶ってほしいという、願望の終助詞、「な」は詠嘆の終助詞です。全体で「永遠に変わらないでいてほしいものだ」という意味です。
【渚(なぎさ)漕ぐ】
「渚(なぎさ)」は「波打ち際」のことです。
【海人(あま)の小舟(をぶね)の 綱手(つなで)】
「海人(あま)」は「漁師さん」のこと。「綱手(つなで)」は舟の先に立てた棒に結びつける麻の綱のことです。川をさかのぼったりするときには、陸からこの綱で引っ張って上がっていきました。
【かなしも】
心を揺さぶるような切なさを表す形容詞「かなし」の終止形に、詠嘆の終助詞「も」がついています。「心が動かされるなあ」というような意味になります。 |
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●「古今集」の東歌(あづまうた)「陸奥(みちのく)は いづくはあれど 塩釜(しほがま)の 浦こぐ舟の 綱手(つなで)かなしも」の本歌取りです。塩釜は14番・河原左大臣があこがれた宮城県松島湾内の塩釜の浦です。 |
●歌に詠まれた渚は、鎌倉から近い浜とすれば、由比ヶ浜や稲村ヶ崎、江ノ島近辺の可能性があります。 |
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●実朝の家集を「金槐和歌集」と名付けたのは定家だったらしく、別名は「鎌倉右大臣家集」といいます。「金槐」の「金」は「鎌倉」の「鎌」の偏で、「槐」は「槐門」の略で大臣を意味します。拝賀の儀式によって正式にその地位に任じたとすると、実朝が右大臣の地位にあったのは、暗殺されるまでのわずか数十分ということになります。
●「金槐和歌集」の中にも無常観の漂う歌があります。「世に経れば 憂き言の葉の 数ごとに たえず涙の 露ぞ置きける」(この世を長く生きて行くと、つらさを嘆く言葉が数々吐き出されるが、その言の葉ごとにたえず涙の露が置くことよ。)、「難波潟 うき節(ふし)繁き 葦の葉に 置きたる露の あはれ世の中」(難波潟の節の多い葦の葉に置く露のように、何とつらいことの多い世の中であろう。)。人の世の無常を身をもって示したのが実朝だといえるかもしれません。
●定家も「古今集」の歌を本歌取りにして「綱手引く ちかのしほがま くりかへし かなしき世をぞ うらみはてつる」と詠んでいます。 |
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●11歳で鎌倉幕府第3代将軍になった実朝は、源頼朝の二男です。京都の宮廷文化に強くあこがれ、和歌と蹴鞠(けまり)を特に好みました。 |
●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では100基の歌碑めぐりを楽しめます。「世の中は」の歌碑は、奥野宮地区の竹林の小道沿いにあります。 |
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