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(さきょうのだいぶあきすけ)
<1090年~1155年> |
父の藤原顕季(あきすえ)は「六条藤家(ろくじょうとうけ)」の歌道の祖として知られています。その3男の藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)です。堀河・鳥羽・崇徳・近衛の4代の天皇に仕え、正三位左京太夫(京都の左半分を治める役所の長官)にまで昇進しました。六条家の後継者として多くの歌合で作者・判者をつとめ、77番・崇徳院に歌才を認めら、「詞花集」の撰者になりました。 |
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『新古今集』秋・413 |
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秋風に吹かれ、たなびく雲の切れ目から、漏れてくる月の光の、なんと明るく澄みきっていることよ。 |
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この歌は久安6年に77番・崇徳院に捧げられた百首歌「久安(きゅうあん)百首」で披露されたものです。(「百首歌」というのは、いくつかの題に沿って詠んだ歌(題詠)を100首集めたもの。)秋の月をもの悲しいと詠むのは、平安時代の和歌では決まりきった感覚でしたが、顕輔はそうした感情を表す言葉をまったく入れず、純粋に月の美しさだけを詠んでいます。秋の夜空を流れていく細い雲。その隙間から漏れてくる月光の澄みわたった美しさをありのままに描いています。月そのものではなく、雲間から差し込む光に着目した点が、感動の一瞬をとらえた写真のようで印象的です。体言止めの「さやけさ」の語感は余韻をさそいます。六条藤家は、定家が属する御子左家に対抗する立場でしたが、流派を超えて97番・定家が傑作の一つとして高く評価しています。 |
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【秋風に たなびく】
「に」は原因を示す格助詞です。動詞の連体形「たなびく」は「横に長くひく」という意味で、「秋風に吹かれて、横長に伸びてただよう」という意味になります。
【雲の絶え間より】
「絶え間」は「とぎれたその間」という意味です。「より」はここから、という起点を表す格助詞です。
【もれ出づる月の 影のさやけさ】
動詞「もれ出づる」は「もれ出づ」の連体形で、「こぼれ射してくる」というような意味です。また「影」はこの場合「光」で、「月の影」は「月の光」を意味します。古文では「影・陰」は、姿・光・影の3つの意味があり、文脈で判断しますが、「月影」の場合はほとんど月の光の意味です。「さやけさ」は形容詞「さやけし」を名詞化したもので、「澄みわたってくっきりしていること、清々しいさま」という意味になります。 |
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●77番・崇徳院に捧げられた百首歌「久安(きゅうあん)百首」で披露された歌です。崇徳院に歌才を認められて、「詞花集」の撰者になりました。安井金毘羅宮は藤寺と呼ばれ、祭神は崇徳院です。境内には崇徳院の愛した見事な藤棚があります。 |
●柳の水は、平安末期の崇徳院の御所があった所で、清泉がわいていました。井戸に日が当たらないように柳を植えたことから呼ばれています。 |
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●「たなびく雲」は「万葉集」では恋路を妨げるものと考えられていたらしく「雲なたなびき(雲よたなびいてくれるな)」と詠われることが多かったようです。
●6番・大伴家持の秋の歌にも、月光の美しさを詠んだ歌があります。「雨晴れて 清く照りたる この月夜 また更にして 雲なたなびき」(雨がやみ清く照っているこの月に、またあらたに雲よたなびいてくれるな。「万葉集」) 雨の後の月光の美しさをとらえた歌として、顕輔の歌と並ぶ秀歌です。 |
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●月そのものではなく、雲間から差し込む月光を詠んだ歌です。97番・藤原定家が高く評価しています。 |
●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「秋風に」の歌碑は、常寂光寺と二尊院の間の長神の杜公園にあります。 |
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