筑波嶺の 峰よりおつる みなの川  恋ぞつもりて 淵となりぬる ★つもりにつもった恋の深き淵―陽成院、唯一の歌★ 百首 一覧
陽成院
(ようぜいいん)
<868年~949年>
第57代天皇。清和天皇の皇子で、母は「伊勢物語」の二条后のモデルとされる藤原高子(たかいこ)です。時の権力者である関白藤原基経(もとつね:高子の兄)によって退位に追い込まれ、光孝天皇に位を譲りました。乱行が原因といわれています。20番・元良親王の父です。 出展 「後撰集」恋・777



現代語訳

 筑波山の峰から流れ落ちてくる男女川(みなのがわ)のしずくが、次第に水かさを増して深い淵となるように、私の恋心も次第につもりつもって深い淵になってしまいました。
 鑑 賞 
 
詞書には「釣殿(つりどの)の皇女(みこ)につかわしける」と書かれています。釣殿の皇女とは光孝天皇の娘、綏子(すいし)内親王を指しており、後に陽成院のお后(きさき)となります。「最初はほのかだった恋心だけれど、時間がたつにつれてゆっくりと深くなっていく。まるで筑波山のいただきから流れ落ちる男女川がだんだん太い流れになり、深い淵になるように、私の恋心はこんなにも大きく強くなったのだ。」という思いが筑波山の男女川に込められて語られます。陽成院は精神的な健康が優れず、宮中での乱行が多かったと伝えられます。しかし、この歌はそうした背景は別として、いっきに詠み下した歌の調子からは、女性の心を揺さぶる激しさとともに、現代にも通じる純粋な恋心が感じられます。
止
下の句 上の句
ことば
【筑波嶺(つくばね)の】
「筑波」は常陸国(現在の茨城県)の筑波山のことです。山頂が男体山と女体山の2つの峰に分かれ、万葉の昔からよく歌に詠まれました。古代には、春と秋に男女が集まって神を祀り、求愛の歌を歌いながら自由な性行為を楽しむ「歌垣」として知られていました。また「つくばね」の「つく」は相手側に「付く」という意味を表します。

【峰より落つる】

「山頂から(の水の流れが)落ちていく」という意味です。「嶺」「峰」と繰り返すことで山の高く険しい様が強調されています。

【男女川(みなのがは)】

「水無乃川」とも書きます。男体山、女体山の峰から流れ出る川なのでこう呼ばれます。川は筑波山の麓を流れて桜川に合流し、霞ヶ浦に流れ込みます。ここまでが序詞になります。

【恋ぞつもりて】

「恋情がだんだんつのって」という意味で、細かった川の流れが峰から里に下るにつれて太く強い流れになるイメージと重ね合わせています。

【淵となりぬる】

「淵」は流れがたまって深くなっている場所です。恋の気持ちと川の流れを重ね合わせ、恋心がつのっていく様子を表現しています。「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形です。「後撰集」では「なりける」となっていますが、「ぬる」の方が思い詰めた感覚が強く表れているようです。
●筑波山は、茨城県つくば市にある有名な山です。山は2つに分かれており、西の男体山が871m、東の女体山が877mと低いですが、「西の富士山、東の筑波」と称されるほど古くからその優美な姿が愛されています。 ●筑波山は朝は藍色、夕刻には紫に色をさまざまに変えるため「紫峰」とも呼ばれます。男女川の源流は、紫峰杉脇にあります。
作品トピックス
●筑波山は常陸国(ひたちのくに:現在の茨城県)にあり、「万葉集」の時代から歌枕として多くの歌に詠まれた土地です。京に住む陽成院が常陸国に下向したことはないので、筑波山も男女川も見たことはありません。伝聞や絵図でイメージをふくらませ、恋にふさわしい地名として詠みこんだのでしょう。「筑波嶺の 岩もとどろに 落つる水 よにもたゆらに 我が思はなくに」(筑波嶺の岩も鳴り響くほどに落ちる水のように、あなたを信じて少しも不安なことなど私は思っていませんよ。「万葉集」常陸国の歌。)や、「筑波嶺の 峰の紅葉ば 落ち積もり 知るも知らぬも なべてかなしも」(筑波の峰にはもみじが散っていますが、その紅葉のようにきれいな人、私の知人であってもなくても愛しいものですよ。「古今集」常陸歌。秋の歌垣の歌ではないでしょうか。)をふまえて詠まれたものと思われます。
●筑波山は歌垣(うたがき)の場として知られていました。歌垣は、春は豊作を祈り、秋は収穫を感謝する農耕神事(のうこうしんじ)として古代から始まりました。決まった日に、結婚していない男女が、山や市(いち)などに集まって歌ったり、踊ったりして、やがて思いを寄せる相手に歌を贈って求愛し、一夜を過ごします。日本三大歌垣の場というと、筑波山(つくばさん:茨城県)・歌垣山(うたがきやま:大阪府)・杵島山(きしまやま:佐賀県)です。
●「つくばテクノパーク大穂」(茨城県つくば市大久保)には、広い工業団地の中に筑波にちなんだ歌碑が点在しています。また、つくば市沼田筑波山中腹 筑波山梅林入口道路脇、勇農園駐車場内にも「筑波嶺の」の歌碑があります。
●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「筑波嶺の」の歌碑は、奥野宮地区の野宮神社のそば、竹林に囲まれたエリアにあります。