君がため 春の野にいでて 若菜つむ  わが衣手に 雪は降りつつ ★春の七草に祈りをこめて-心優しき皇子(みこ)の思い★ 百首 一覧
天智天皇
(こうこうてんのう)
<830年~887年>
第58代天皇。仁明(にんみょう)天皇の第3皇子、時康(ときやす)親王。13番・陽成(ようぜい)天皇の後、藤原基経(もとつね)の強い推挙(すいきょ)で55歳で即位しましたが、政治判断は関白の基経にまかせました。文化面に関心を寄せ、和歌の発展に努めました。宇多天皇の父です。 出展 「古今集」春・21



現代語訳

 あなたにさしあげるため、早春の野原に出て若菜を摘(つ)んでいる私の着物の袖(そで)に、雪がしきりに降りかかっています。
鑑 賞
  詞書(ことばがき)には「仁和(にんな)の帝(みかど)、皇子(みこ)におはしましける時、人に若菜たまひける御歌」と書かれています。光孝天皇として即位する以前、まだ時康(ときやす)親王と呼ばれていた若い頃、男性か女性かは分かりませんが、大切な人の一年の健康を祈って春の野草を贈った時に添えた歌です。現在でも1月7日に七草がゆを食べる風習が残っていますが、初春の若菜つみはかなり古くから行われていたようです。せり、なずな、はこべらなどの早春に芽を出す草を食べると、その年の邪気を払うと信じられていたためです。とても細やかな心遣いをこめた歌で、「春の野」「若菜」「衣手」「雪」と柔らかなイメージを含んだ言葉が並びます。あなたのために、まだ寒さの残る春の野原に出かけて、春の野草を摘んでいると、着物の袖に淡雪が降りかかっています。若菜の緑と雪の白の対比も鮮やかで、まるで一枚の絵を見るように清らかな感じがします。光孝天皇の穏やかな人柄も伝わってきます。
止
下の句 上の句
ことば
【君がため】
「君」は、この場合は若菜を贈る相手を指します。政治的な視点からは藤原基経が最もふさわしいといわれています。

【若菜摘む】

「若菜」は決まった植物の名前ではなく、春に生えてきた食用や薬用になる草のことです。冬の野菜が少なかった当時、若菜はとても貴重でした。正月最初の子(ね)の日にそれを食べると邪気(じゃき)を払い、長生きすると信じられてきました。「春の七草」のセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ(カブ)、スズシロ(ダイコン)などが代表的です。正月7日の「七草粥」の行事もそこからきています。ただし、実際には春先に生えるセリやヨメナを指すことが多いようです。初春の「若菜摘み」は年中行事の一つでした。

【わが衣手に】

「衣手(ころもで)」は袖の歌語です。

【雪は降りつつ】

「つつ」は動作の反復・継続を表す接続助詞で、「し続ける」という意味です。「つつ」は百人一首の撰者・藤原定家の好きな表現でもあり、定家の歌も「つつ」で終わっています。
●光孝天皇が若菜を摘んだ場所というのは、京都市の右京区嵯峨にあった「芹川」の周辺に広がっていた芹川野だったそうです。そこに御幸を行い、鷹狩りをして和歌を詠んだそうです。 ●若菜は春先に生える芹(せり)やヨメナを指すことが多いようです。初春の「若菜摘み」は年中行事の一つでした。芹は湿地に自生する多年草で、若葉に特有の香りがあります。夏には白い小花をつけます。
作品トピックス
●古くは若菜や薬草を摘むのは女性の役割だったので、女性の立場で詠んだ歌と見た方が自然かもしれません。さまざまな文学にこの歌の本歌取りの歌が収められています。
●「大和物語」173段では五条に住む貧しい女性が「君がため 衣のすそをぬらしつつ 春の野にいでて つめる若菜ぞ」(あなたのために、衣のすそをぬらしながら春の野に出て摘んだ若菜ですよ。)の歌を添えて、12番・良岑宗貞(遍昭)に食事を出した恋物語が記されています。
●「古今集」では、ある人に若菜を贈る際に添えたあいさつの歌として解釈しています。
●平安の頃から観賞され、人々に愛されてきた酔芙蓉(すいふよう)が咲く寺として有名になった山科の大乗寺(だいじょうじ)にも「君がため」の歌碑があります。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「君がため」の歌碑は、亀山公園にあります。