天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に いでし月かも ★日本に帰れなかった遣唐留学生の思いとは?★ 百首 一覧
安倍仲麿
(あべのなかまろ)
<698年~770年>
717年、遣唐留学生に選ばれ中国(唐)の都・長安へ渡りました。玄宗(げんそう)皇帝に気に入られたため、官僚として唐にとどまって活躍しました。中国名「朝衡(ちょうこう)」。帰国を決意しますが船が難破して果たせず長安で72歳で亡くなりました。唐の大詩人である李白(りはく)や王維(おうい)とも親交がありました。 出展 「古今集」羇旅・406



 現代語訳
  大空をはるかに仰ぎ見れば、月が出ている。あの月は昔、故国の春日にある三笠山の上に出ていたのと同じ月なのだなあ。
 鑑 賞
  詞書(ことばがき)に「唐土(もろこし:唐の国)にて月を見てよみける」とあります。また、「古今集」の左注に長い逸話(いつわ)が記されています。「この歌は、昔、仲麿を政府から唐へ留学生として派遣したのだが、何年経っても帰国しないので、日本からまた使節が到着した時に一緒に帰国しようと出発した。その時、明州という所の海辺で、唐の国の人々が送別会を開いてくれた。夜になって、月が大変趣深く昇ったのを見て詠んだ、と語り伝えられている。」安倍仲麿は遣唐留学生として唐に渡り、そこで驚くような秀才ぶりを発揮して玄宗(げんそう)皇帝のお気に入りとして高位の役人になった人です。あまりに気に入られたため、日本に帰ることを許してもらえませんでした。望郷の思いがつのる仲麿でしたが、30年を経てようやく帰国を許され、明州(めいしゅう:現在の寧波(ニンポー)市)で送別会が開かれた時に詠まれたのが、この歌でした。「天を見ると美しい月が昇っている。あの月は、遠い昔、遣唐使に出かける時に祈りを捧げた春日大社のある三笠山に昇っているのと同じ月なのだ。ようやく日本に帰れるのだなあ。」奈良時代、遣唐使たちは、日本を出発する時に、春日山のふもとで長い旅の安全を神に祈る習慣があったといいます。仲麿は春日山に出ていた月を思い出し、故郷への思いを詠んだのです。当時、船で中国から日本へ帰るのは、それこそ命がけでした。残念ながら船は難破し、戻った中国の地で72歳の生涯を閉じます。
止
下の句 上の句
ことば
【天の原】
大空のこと。「原」は、「海原」と同じく、大きく広がっている様子を表す時に使われます。
【ふりさけ見れば】
遠くを眺めれば、という意味。「ふりさけ見る」の已然形に、確定条件を表す接続助詞「ば」がついたものです。
【春日なる】
現在の奈良市春日野町あたりの土地で、奈良公園から春日大社までの土地。遣唐使の出発に際しては、春日神社で旅の無事を祈ったといわれます。
【三笠の山】

春日大社後方、春日山原始林の手前にある山。若草山と高円(たかまど)山の間にあります。御笠山とも御蓋山とも書きます。「続日本紀」によると、霊亀3年(717)2月、仲麿をはじめ遣唐使一行は三笠山の南に神を祭り、唐までの海路の安全を祈願しています。

【出(い)でし月かも】

「かも」は奈良時代に使われた詠嘆の終助詞です。かつて見た三笠山の上に昇る月を表しながら、唐の地で今見ている月を重ねています。
●仲麿が懐かしんだ春日大社の周辺は、奈良でも一番の観光名所。奈良駅から表参道を上り、興福(こうふく)寺や東大寺大仏殿など、数多くの観光スポットをたどりながら歩くと到着するのが、春日大社です。この春日大社祈祷所の東側に「天の原」の歌碑があります。 ●三笠山(若草山)は春日大社の後方にある標高283mの山です。三笠の山の麓(ふもと)は、遣唐使の航海安全祈願のための神祭を行う場所だったことが「続日本紀」の記事からわかります。
 作品トピックス
●送別会での和歌とする説のほかに、中国の蘇州(そしゅう)の船中での作とする説もあります。
●「今昔物語」巻24の「安陪仲麿唐にて和歌を読むこと」にも、「古今集」の左注と同じ話が紹介されています。「…夜になり、月がたいそう明るく照っているのを見て、何かにつけて日本のことが思い出され、恋しく悲しく、日本の方を眺めて『天の原…』とよんで涙を流した。」と記されています。
●35番・紀貫之の「土佐日記」には、承平5年1月20日の夜の月が出た光景を見て、仲麿の歌について語る部分があります。「仲麻呂さんは、『私の国では、こういう歌を、神代から神様もおよみになり、今では上中下どんな身分の人でも、このように別れを惜しんだり、うれしいことがあったり、悲しいことがあったりする時には、よむのです』といってよんだそうだ。…唐土(もろこし:中国)と日本とは言葉は違うものなのだが、目に見える月の光は同じことであるから、それを見る人の感情も同じことなのだろう。」と記されています。
●また、「ふりさけし 人の心ぞ 知られぬる 今宵みかさの 月をながめて」という86番・西行法師の歌があります。
●仲麻呂が遣唐使として平城京から唐に渡ったルートです。星や太陽を見て走り、陸地が見えるとどのあたりかを判断し、唐の長安をめざしました。順調に走ればほぼ一週間で東シナ海を横断しました。※遣唐使船南路の写真 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「天の原」の歌碑は、亀山公園にあります。