あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな ★恋に命をかけた,情熱の人-その愛を描いた「和泉式部日記」★ 百首 一覧
和泉式部
(いずみのしきぶ)
<976~978年~1030年頃>
和泉守・橘道貞(いずみのかみ・たちばなのみちさだ)の妻で、和泉式部の名前で呼ばれました。娘は60番・小式部内侍です。平安時代の代表的歌人で、中古三十六歌仙の一人です。冷泉天皇の皇子・為尊(ためたか)親王、敦道(あつみち)親王と結ばれます。死別後は中宮彰子に仕え、丹後守・藤原保昌(たんごのかみ・ふじはらやすまさ)と再婚しました。敦道親王との恋愛を描いたのが「和泉式部日記」です。 出展 『後拾遺集』恋・763



現代語訳

 もうすぐ私は死んでしまうでしょう。せめてあの世へ持っていく思い出として、今もう一度だけあなたにお逢いしたいのです。
鑑 賞
  詞書には、「心地(ここち)例ならずはべりけるころ、人のもとにつかはしける」とあります。病気が重くなって、死を覚悟した時、心残りを歌に託して男性のもとに贈ったということです。初句で「あらざらむ」と自分がまもなく死ぬことを述べ、だからせめて死後の世界に持っていく思い出として、「もう一度だけあなたに逢いたいのです!」と、ひたむきさを越えた、狂おしいほどの情念をストレートに表現しています。「この世のほか」という表現はそれまでの和歌にはない型破りな表現であり、中世において高く評価されたようです。歌を贈った相手が誰であったのかは不明ですが、歌集に置かれた位置から見ると、敦道(あつみち)親王=帥宮(そちのみや)との交流が深まっていた頃らしいです。
止
下の句 上の句
ことば
【あらざらむ】
 「あら」は動詞「あり」の未然形で「生きている」という意味です。「む」は推量の助動詞「む」の連体形で、全体で「生きていないであろう」という意味になります。

【この世のほかの】

 「この世」とは「現世」という意味ですので、「この世の外」は現世の外の世界、つまり死後の世界ということになります。

【思ひ出に】

 「来世での思い出になるように」という意味です。

【今ひとたび】
 「もう一度」という意味です。
【逢ふこともがな】
 「逢ふ」は、男女が逢い一夜を過ごすことで、「もがな」は願望の終助詞で「~であったらなあ」と、実現が難しい希望を語ります。
●京都市新京極の商店街にある「誠心院(せいしんいん)」は、和泉式部寺と呼ばれています。娘の小式部内侍に先立たれた和泉式部に、関白藤原道長が、娘・上東門院彰子に仕えていた和泉式部にと、法成寺(ほうじょじ)の中、東北院のそばに建立したお堂(小御堂)が「誠心院」です。 ●誠心院境内には和泉式部の墓として宝篋印塔(ほうきょういんとう)、和泉式部像、和泉式部絵巻があります。和泉式部の墓は全国に10数カ所あるそうです。 
作品トピックス
●和泉式部と敦道(あつみち)親王=帥宮が牛車に同乗して葵祭を見物する姿を人々が珍しがって見たことは「大鏡」に記されています。「少し軽々にぞおはしましし」(少し軽率でいらっしゃいました)とあり、兼家一門の公達は宮の人柄や行動に好意を持たなかったようです。
●「あらざらむ」の歌を本歌取りした歌として86番・西行の「いかで我 この世のほかの 思ひ出でに 風をいとはで 花をながめん」(「山家集」)、97番・定家の「心もて この世のほかを 遠しとて 岩屋の奥の 雪を見ぬかな」や「おのづから 人も時のま 思ひ出は それをこの世の 思ひ出にせん」(「拾遺愚草」)があります。
●中宮彰子のもとに出仕してからも、和泉式部には何人もの恋人がいたようです。「和泉式部集」の詞書にこう記されています。ある男性が女物の扇を持っているのを道長が見つけて、扇の持ち主は誰かと尋ねました。和泉式部と分かったので、扇を取って「うかれ女(め)の扇」と書きつけます。そこで、和泉式部も「越えもせむ 越さずもあらむ 逢坂の 関守ならぬ 人なとがめそ」(男女の逢瀬の関を越える者もあれば、越えない者もあります。逢坂の関守でもない方に、私の恋がどこまで進もうと、とがめられたくはありません。)と扇に歌を書き添えました。浮かれ女とは歌や踊りで客を楽しませる遊女のことで、道長は恋多き和泉式部をからかったのです。
●「和泉式部日記」15段には、「つれづれもなぐさめむとて、石山に詣でて」とあり、 和泉式部が敦道親王との関係が上手くいかず、むなしい気持を慰めるためにに籠った様子が描かれています。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「あらざらむ」の歌碑は、亀山公園にあります。