八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えね 秋は来にけり ★荒れた宿での歌会、百年前にはどんな秋が?★ 百首 一覧
恵慶法師
(えぎょうほうし)
<生没年不祥、10世紀頃の人>
播磨国(はりまのくに)の国分寺の講師(こうじ)として人々に仏典の講義をしていたといわれますが、詳しい経歴は不明です。「拾遺集」時代の代表的な歌人で、三十六歌仙の一人です。寛和年間(985~987)を中心に、河原院歌合に参加したり、花山院の熊野参詣に同行したりと、和歌を通じて権力者から身分の低い歌人まで広く交流しています。 出展 『拾遺集』秋・140



現代語訳

 葎(むぐら)がいく重にも生い茂っているこの寂しい住まいに、訪れる人は誰もいないが、秋だけはやって来たことだなあ。
鑑 賞
  「拾遺集」の詞書には「河原院にて、荒れたる宿に秋来るといふ心を、人々詠み侍りけるに」とあります。このように、歌人たちが集まって同じ題で詠み合う歌を「題詠歌」といいます。100年前には豪華な庭園を持ち、多くの人々でにぎわっていた河原院(14番・左大臣源融の邸)も、今やつる草がぼうぼうに生い茂る寂しい屋敷になってしまいました。季節だけは移り変わり、人は誰ひとりとして訪れては来ないのに、秋だけはひそやかにやってきていたのだなあ、という内容の歌です。はなやかな昔を思いながら、人の世のはかなさと秋の訪れをしみじみと感じているのです。18番・藤原敏行の歌「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」を背景にしています。定家たちが編んだ「古今集」によって、「秋は寂寞(せきばく)の季節」というイメージが作られました。鮮やかな紅葉に感動するだけではなく、廃屋の秋にしみじみとした風情を感じるようになったのです。
止
下の句 上の句
ことば
【八重葎(やえむぐら)】
 「葎(むぐら)」は、つる状の雑草の総称。「八重」は幾重にも重なることで、つる草が重なってはびこっている状態。「八重葎」は、家などが荒れ果てた姿を表すときに、象徴的に使われる言葉です。

【しげれる宿】
 「宿」は和歌独特の言い回しで、家のことです。草ぼうぼうの荒れ果てた家のことを表しています。
【人こそ見えね】 
 「ね」は、打ち消しの助動詞「ず」の已然形。「こそ~ね」で逆接の文章を作ります。「人は見あたらないけれども」の意味。
【秋は来にけり】

 「秋は来にけり」の「けり」は、今気づいた、という感動を示しています。
●河原院は遺跡として、五条大橋のたもとに河原院址の碑が立っています。現在も残る本塩竃町や塩竃町という地名はその名残です。 (むぐら)は、つる状の雑草の総称。「八重」は幾重にも重なることで、つる草が重なってはびこっている状態。家などが荒れ果てた様子を表現しています。
作品トピックス
●35番・紀貫之や17番・在原業平も和歌に河原院を詠んでいます。貫之の「訪ふ人も なき宿なれど 来る春は 八重葎にも さはらざりけり」(「貫之集」)が「八重葎」の本歌のようです。八重葎の宿は、人の訪れない場所というイメージがあって、主人を亡くして没落する家のたとえとして歌に詠まれました。恵慶法師には「草茂み 庭こそ荒れて 年経ぬれ 忘れぬ物は 秋の夜の月」(「恵慶集」)や「すだきけむ 昔の人も なき宿に ただ影するは 秋の夜の月」(ここに集まって騒いだろう昔の人も今はない宿に、影を見せるものと言ったら、ただ秋の夜の月ばかりである。「後拾遺集」)という類歌があります。
●73番・大江匡房が恵慶法師の歌を本歌取りしています。「八重むぐら 茂れる宿は 人もなし まばらに月の 影ぞすみける」(つる草が生い茂っている家には人もいない。屋根のすき間からまばらにもれる月の光が澄んで、住み顔にしていることだ。「新古今集」の詞書には、「知り合っていた人のもとに訪ねて行ったところ、その人は他に移り住んで、たいそう荒れている家に月がさしこんでいましたので」とあります。)
●渉成園(しょうせいえん)は、京都府京都市下京区にある真宗大谷派の本山・真宗本廟(東本願寺)の飛地境内地で、華やかだった時代の 河原院の風情を残しています。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では100基の歌碑めぐりを楽しめます。「八重むぐら」の歌碑は、亀山公園にあります。