恋の和歌  
   百人一首の中で、「恋」の和歌は最も多く、全部で42首あります。古今集から4首、後撰集4首、拾遺集8首、後拾遺集9首、金葉集1首、詞花集3首、千載集7首、新古今集5首、そして新勅撰集1首が選ばれています。


あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む 柿本人麻呂(かきのもとひとまろ。不明~709年、710年頃?) 「拾遺集」恋3・773
筑波嶺の 峰よりおつる みなの川  恋ぞつもりて 淵となりぬる 陽成院(ようぜいいん。868年~949年) 「後撰集」恋・777
陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに  乱れそめにし われならなくに 河原左大臣(かわらのさだいじん。822年~895年)。 「古今集」恋四・724
住の江の 岸による波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん。生年不詳~901年あるいは907年没。) 「古今集」恋・559
難波潟 みじかき芦の ふしの間も あはでこの世を 過ぐしてよとや 伊勢(いせ。872年頃~940年頃) 「新古今集」恋一・1049
わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ 元良親王(もとよししんのう。890年~943年) 「後選集」恋・961
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな 素性法師(そせいほうし。生没年不明) 「古今集」恋4・691
名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな 三条右大臣(さんじょうのうだいじん。873年~932年) 「後撰集」恋・701
みかの原 わきて流るる 泉川  いつみきとてか 恋しかるらむ 中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ。877年~933年) 『新古今集』恋・996
有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり うきものはなし 壬生忠岑(みぶのただみね。生没年未詳) 「古今集」恋・625
忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな 右近(うこん。生没年不明) 「拾遺集」恋四・870
浅茅生の 小野のしの原 忍ぶれど  あまりてなどか 人の恋しき 参議等(さんぎひとし。880年~951年) 「後撰集」恋・578
忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで 平兼盛(たいらのかねもり。生年未詳~990年) 「拾遺集」恋一・622
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか 壬生忠見(みぶのただみ。生没年未詳、10世紀半ば) 「拾遺集」恋一・621
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは 清原元輔(きよはらのもとすけ。908年~990年) 「後拾遺集」恋四・770
逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり 権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ。906~943) 「拾遺集」恋二・710
逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし 中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ。 910年~966年) 「拾遺集」恋一・678
あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな 謙徳公(けんとくこう。924年~972年) 「拾遺集」恋五・950
由良の門を わたる舟人 かぢをたえ 行く方も知らぬ 恋の道かな 曽禰好忠(そねのよしただ。930年~1000年頃) 「新古今集」恋・1071
風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ 砕けてものを 思ふころかな 源重之(みなもとのしげゆき。940年~1000年頃) 「詞花集」恋上・211
御垣守 衛士のたく火の 夜は燃え  昼は消えつつ ものをこそ思へ 大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ。921年~991年。) 「詞花集」恋上・225
君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな 藤原義孝(ふじわらのよしたか。954年~974年) 「後拾遺集」恋二・669
かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを 藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん。生年未詳960年頃~998年) 「後拾遺集」恋一・612
明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな 藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん。972年~994年) 「後拾遺集」恋二・672
嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る 右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは。937年頃~995年頃) 「拾遺集」恋四・912
忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな 儀同三司母(ぎどうさんしのはは。940年~996年頃) 「新古今集」恋・1149
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな 和泉式部(いずみのしきぶ。976~978年生年~1030年頃没。) 「後拾遺集」恋・763
有馬山 猪名の笹原 風吹けば  いでそよ人を 忘れやはする 大弐三位(だいにのさんみ。999年頃~1070年か1082年頃。) 「後拾遺集」恋二・709
やすらはで 寝なましものを 小夜ふけて 傾くまでの 月を見しかな 赤染衛門(あかぞめえもん。958年頃~1041年までは生存。) 「後拾遺集」恋・680
今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな 左京大夫道雅(さきょうのだいふみちまさ。992年~1054年) 「後拾遺集」恋・750
恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ 相模(さがみ。995か998年頃~1061年以後没。) 「後拾遺集」恋・815
音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ 祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい。11世紀後半、生没年未詳。) 「金葉集」恋下・469
うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを 源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん。1055年~1129年。) 「千載集」恋・707
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ 崇徳院(すとくいん。1119年~1164年) 「詞花集」恋・228
長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ 待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ。12世紀頃。) 「千載集」恋三・802
思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり 道因法師(どういんほうし。1090年~1182年頃) 「千載集」恋3・817
夜もすがら もの思ふ頃は 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり 俊恵法師(しゅんえほうし。1113年~1191年頃。) 「千載集」恋二・766
なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな 西行法師(さいぎょうほうし。1118年~1190年) 「千載集」恋・926
難波江の 芦のかりねの 一よゆゑ  みをつくしてや 恋ひわたるべき 皇嘉門院別当(こうかもんいんべっとう。生没年未詳、12世紀頃。) 「千載集」恋三・807
玉の緒よ 絶なば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする 式子内親王(しょくし、または、しきしないしんのう。1149年~1201年) 「新古今集」恋一・1034
見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず 殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ。1131年頃~1200年頃) 「千載集」恋・884
わが袖は 潮干にみえぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし 二条院讃岐(にじょういんのさぬき。1141年~1217年) 「千載集」恋2・760
来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ 権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ。1162年~1241年) 「新勅撰集」巻13・恋3・849