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あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む |
柿本人麻呂(かきのもとひとまろ。不明~709年、710年頃?) |
「拾遺集」恋3・773 |
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筑波嶺の 峰よりおつる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる |
陽成院(ようぜいいん。868年~949年) |
「後撰集」恋・777 |
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陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに |
河原左大臣(かわらのさだいじん。822年~895年)。 |
「古今集」恋四・724 |
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住の江の 岸による波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ |
藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん。生年不詳~901年あるいは907年没。) |
「古今集」恋・559 |
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難波潟 みじかき芦の ふしの間も あはでこの世を 過ぐしてよとや |
伊勢(いせ。872年頃~940年頃) |
「新古今集」恋一・1049 |
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わびぬれば 今はた同じ 難波なる 身をつくしても 逢はむとぞ思ふ |
元良親王(もとよししんのう。890年~943年) |
「後選集」恋・961 |
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今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ちいでつるかな |
素性法師(そせいほうし。生没年不明) |
「古今集」恋4・691 |
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名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな |
三条右大臣(さんじょうのうだいじん。873年~932年) |
「後撰集」恋・701 |
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みかの原 わきて流るる 泉川 いつみきとてか 恋しかるらむ |
中納言兼輔(ちゅうなごんかねすけ。877年~933年) |
『新古今集』恋・996 |
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有明の つれなく見えし 別れより 暁ばかり うきものはなし |
壬生忠岑(みぶのただみね。生没年未詳) |
「古今集」恋・625 |
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忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな |
右近(うこん。生没年不明) |
「拾遺集」恋四・870 |
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浅茅生の 小野のしの原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき |
参議等(さんぎひとし。880年~951年) |
「後撰集」恋・578 |
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忍ぶれど 色に出でにけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで |
平兼盛(たいらのかねもり。生年未詳~990年) |
「拾遺集」恋一・622 |
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恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか |
壬生忠見(みぶのただみ。生没年未詳、10世紀半ば) |
「拾遺集」恋一・621 |
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契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波こさじとは |
清原元輔(きよはらのもとすけ。908年~990年) |
「後拾遺集」恋四・770 |
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逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり |
権中納言敦忠(ごんちゅうなごんあつただ。906~943) |
「拾遺集」恋二・710 |
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逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし |
中納言朝忠(ちゅうなごんあさただ。 910年~966年) |
「拾遺集」恋一・678 |
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あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな |
謙徳公(けんとくこう。924年~972年) |
「拾遺集」恋五・950 |
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由良の門を わたる舟人 かぢをたえ 行く方も知らぬ 恋の道かな |
曽禰好忠(そねのよしただ。930年~1000年頃) |
「新古今集」恋・1071 |
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風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ 砕けてものを 思ふころかな |
源重之(みなもとのしげゆき。940年~1000年頃) |
「詞花集」恋上・211 |
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御垣守 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ ものをこそ思へ |
大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ。921年~991年。) |
「詞花集」恋上・225 |
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君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな |
藤原義孝(ふじわらのよしたか。954年~974年) |
「後拾遺集」恋二・669 |
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かくとだに えやは伊吹の さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを |
藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん。生年未詳960年頃~998年) |
「後拾遺集」恋一・612 |
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明けぬれば 暮るるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな |
藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん。972年~994年) |
「後拾遺集」恋二・672 |
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嘆きつつ ひとりぬる夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る |
右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは。937年頃~995年頃) |
「拾遺集」恋四・912 |
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忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな |
儀同三司母(ぎどうさんしのはは。940年~996年頃) |
「新古今集」恋・1149 |
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あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな |
和泉式部(いずみのしきぶ。976~978年生年~1030年頃没。) |
「後拾遺集」恋・763 |
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有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする |
大弐三位(だいにのさんみ。999年頃~1070年か1082年頃。) |
「後拾遺集」恋二・709 |
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やすらはで 寝なましものを 小夜ふけて 傾くまでの 月を見しかな |
赤染衛門(あかぞめえもん。958年頃~1041年までは生存。) |
「後拾遺集」恋・680 |
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今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを 人づてならで 言ふよしもがな |
左京大夫道雅(さきょうのだいふみちまさ。992年~1054年) |
「後拾遺集」恋・750 |
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恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ |
相模(さがみ。995か998年頃~1061年以後没。) |
「後拾遺集」恋・815 |
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音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ |
祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのきい。11世紀後半、生没年未詳。) |
「金葉集」恋下・469 |
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うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを |
源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん。1055年~1129年。) |
「千載集」恋・707 |
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瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ |
崇徳院(すとくいん。1119年~1164年) |
「詞花集」恋・228 |
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長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ |
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ。12世紀頃。) |
「千載集」恋三・802 |
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思ひわび さても命は あるものを 憂きにたへぬは 涙なりけり |
道因法師(どういんほうし。1090年~1182年頃) |
「千載集」恋3・817 |
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夜もすがら もの思ふ頃は 明けやらで ねやのひまさへ つれなかりけり |
俊恵法師(しゅんえほうし。1113年~1191年頃。) |
「千載集」恋二・766 |
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なげけとて 月やはものを 思はする かこち顔なる わが涙かな |
西行法師(さいぎょうほうし。1118年~1190年) |
「千載集」恋・926 |
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難波江の 芦のかりねの 一よゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき |
皇嘉門院別当(こうかもんいんべっとう。生没年未詳、12世紀頃。) |
「千載集」恋三・807 |
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玉の緒よ 絶なば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする |
式子内親王(しょくし、または、しきしないしんのう。1149年~1201年) |
「新古今集」恋一・1034 |
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見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず |
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ。1131年頃~1200年頃) |
「千載集」恋・884 |
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わが袖は 潮干にみえぬ 沖の石の 人こそ知らね 乾く間もなし |
二条院讃岐(にじょういんのさぬき。1141年~1217年) |
「千載集」恋2・760 |
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来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ |
権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ。1162年~1241年) |
「新勅撰集」巻13・恋3・849 |