プロフィール 参議雅経

参議雅経
(さんぎまさつね。1170年~1221年)
本名、藤原雅経(ふじわらのまさつね)。藤原頼経(よりつね)の2男で、99番・後鳥羽、土御門、100番・順徳の3代の天皇に仕えました。文治2年(1186)、父が源義経に助力した罪で安房に、文治5年には再び義経をかばったという疑いで伊豆に流罪となったため、雅経の16歳から20歳までは心労が絶えませんでした。雅経自身も鎌倉に送られましたが、蹴鞠(けまり)と和歌の才により源頼朝に取り立てられ、多くの鎌倉武士たちが蹴鞠に熱中し、弟子入りしました。大江広元(鎌倉幕府の政所の初代別当)の娘を妻にしています。28歳で、やはり蹴鞠の腕を見込まれ、後鳥羽院の命により鎌倉から内裏蹴鞠会出席のため上洛、これ以降後鳥羽院の近侍者として仕え、従三位参議にまでなりました。内裏の蹴鞠会などで活躍する一方、後鳥羽院の歌合に出詠、次第に後鳥羽院歌壇の中心歌人として活躍するようになります。83番・藤原俊成に和歌を学び、その息子97番・定家との親交も深かったようで、家集の「明日香井和歌集」に贈答歌があります。建仁元年(1201)、32歳でその才能を認められて和歌所寄人になり、「新古今集」の撰者の一人となりました。飛鳥井(あすかい)流の蹴鞠の祖として、後鳥羽院、源頼朝や二代将軍頼家の蹴鞠の師として有名ですが、能書家でもあり、篳篥(ひちりき)の名手でもありました。
代表的な和歌
●「花さそふ なごりを雲に 吹きとめて しばしはにほへ 春の山風」(桜の花を誘って散らした風の名残りを雲のうちに吹きとどめて、しばらくは、雲を美しい花の色に彩ってくれよ、春の山風よ。「新古今集」歌合の詠題は「落花」です。)
●「移りゆく 雲に嵐の 音すなり 散るか正木の 葛城(かづらき)の山」(次から次へ空を移っていく雲の中に、激しい風の音が聞こえてくる、葛城山では正木のかずらが散っていることであろうか。「新古今集」多くの秀歌選に採られた、雅経の代表作で、後鳥羽院が感心した歌の一つだそうです。)
●「影とめし 露の宿りを 思ひいでて 霜に跡訪(あとと)ふ 浅茅生(あさぢふ)の月」(秋の間、月はちがやの露にかりそめの宿を借りて、光を映しとどめていたが、冬になった今、その頃を思い出して、昔の跡を訪ねるかのように霜に映って光っている月よ。「新古今集」)
●「草枕 結び定めむ かた知らず ならはぬ野辺の 夢の通路(かよひぢ)」(草の枕をどの方角に向けて、どのように結んで寝ればよいのか、わからない。馴れないこの野辺の夢の通い路よ。「新古今集」寝る時の枕の方角によって夢見が変わるという俗信があったようです。雅経の歌は、枕を草枕に置き換え、旅寝の夢であなたに逢うためには、どんな結び方をすればよいのか詠っています。)
●「なれなれて 見しはなごりの 春ぞとも などしら川の 花の下陰(したかげ)」(すっかり馴れ親しんで来て、あの時見たのが最後の別れとなる春だったと、どうして気づかなかったものか。白川の桜の花の下陰よ。「新古今集」に長い詞書があります。最勝寺(さいしょうじ)の蹴鞠(けまり)場に植えていた桜の古木が風に倒れたと聞いて、別の木を移植させた時、自ら見に行き、長年その場に立ち慣れていたことを思い出して詠んだ歌です。雅経は蹴鞠の名手で、後鳥羽院の蹴鞠の師でした。)
エピソード
●「古今著聞集」には、不遇であった若い時代に、賀茂の社に詣でて、心中で歌を詠んだところ、明神がそれに感じ、その後の出世を与えたという話を伝えています。
●雅経の歌風については、「後鳥羽院御口伝」に「雅経はことに案じかへりて歌よみしものなり。いたくたけある歌などはむねとおほくはみえざりしかども、手だりとみえき」とあるほか、「続歌仙落書」に 「風体およばすおもしろきさまなり。龍田山のゆふぐれ時、うち時雨れたるに、松にまじりたる紅葉をみる心地なむする」と記されています。
●鎌倉幕府3代将軍実朝が和歌にうちこみ、京都側との交流が盛んになると、雅経がその窓口となりました。京に戻ってからも、しばしば鎌倉に行き、93番・源実朝と親交を持ち、定家と源実朝の仲立ちをしたり、暦元年(1211)には鴨長明を伴って鎌倉に下向し、実朝と長明が対面する機会を作りました。都の歌壇の情報をいちはやく伝える役目も果たしていました。

●江戸時代に吉野山の宿坊に泊った芭蕉が、雅経の歌を思い出して次のような句を詠んでいます。「碪打(きぬたうち)て我にきかせよや坊が妻」(宿坊の妻よ、どうかきぬたを打って聞かせてほしい、古人の詩情にひたりたいから。「野ざらし紀行」)
●雅経は飛鳥井(あすかい)流の蹴鞠(けまり)の祖として、後鳥羽院、源頼朝や二代将軍頼家の蹴鞠の師としても有名です。雅経がおこした飛鳥井家(あすかいけ)があった京都市上京区飛鳥井町に、白峯(しらみね)神宮があります。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「み吉野の」の歌碑は、常寂光寺と二尊院の間の長神の杜公園にあります。
●境内には鞠庭(まりにわ:蹴鞠をする所)があります。 ●「蹴鞠の碑」の右横にはめこまれた「撫(な)で鞠」をひと廻しすると球技が上達するそうです。 ●「まりの神様」として、日本サッカー協会をはじめ各種スポーツにおいて、使用された公式球が奉納されています。