雑の和歌  
   百人一首の中で、「雑」の和歌は全部で21首あります。出典は古今集から3首、後撰集から1首、拾遺集1首、後拾遺集から2首、金葉集から2首、詞花集から1首、千載集から6首、新古今集から2首、新勅撰集から1首、続後撰集から2首選ばれています。 


わが庵は都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり 喜撰法師(きせんほうし)
9世紀後半、800年代
「古今集」雑下・983
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 蝉丸(せみまる)
生没年未詳。850年~900年
「後撰集」雑一・1089
あまつ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ 僧正遍昭(そうじょうへんじょう816年~890年 「古今集」雑上・872
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ 貞信公(ていしんこう)
880年~949年
「拾遺集」雑集・1128
誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の友ならなくに 藤原興風(ふじわらのおきかぜ)
9~10世紀
「古今集」雑上・909
滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞えけれ 大納言公任(だいなごんきんとう)
966年~1041年
「千載集」雑上・1035
めぐりあひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな 紫式部(むらさきしきぶ)
970年頃~1019・1020年頃
「新古今集」雑上・1499
大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立 小式部内侍(こしきぶのないし1000年頃~1025年 「金葉集」雑上・550
夜をこめて 鳥のそら音 はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ 清少納言(せいしょうなごん)
966年頃~1025年頃
「後拾遺集」雑・940
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし 前大僧正行尊(さきのだいそうじょうぎょうそん)1055年~1135年 「金葉集」雑・556
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ 周防内侍(すおうのないし)
1040年頃~1100年頃
「千載集」雑・961
心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな 三条院(さんじょういん)
976年~1017年
「後拾遺集」雑1・860
契りおきし させもが露を 命にて あはれ今年の 秋もいぬめり 藤原基俊(ふじわらのもととし1060年~1142年 「千載集」雑・1023
わたの原 漕ぎいでて見れば 久かたの 雲ゐにまがふ 沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん) 1097年~1164年 「詞花集」雑下・382
世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる 皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)
1114年~1204年
「千載集」雑・1148
ながらへば またこの頃や しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき 藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)1108年~1177年 「新古今集」雑・1843
おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に すみ染めの袖 前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)1155年~1225年 「千載集」雑中・1137
花さそふ あらしの庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり 入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)
1171年~1244年
「新勅撰集」雑・1054
人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は 後鳥羽院(ごとばいん)
1180年~1239年)
「続後撰集」雑・1199
百敷や 古き軒端(のきば)の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり 順徳院(じゅんとくいん)
1197年~1242年
「続後撰集」雑下・1205