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恵慶法師
(えぎょうほうし。生没年不祥、10世紀頃の人)
清和天皇のひ孫で、父は源兼信(かねのぶ)ですが、伯父の参議兼忠の養子になりました。冷泉天皇に皇太子時代から仕え、帯刀先生(たちはきのせんじょう:護衛の指揮官)、即位後は左右の将監(しょうげん)から相模権守(さがみのごんのかみ)となり、国司として筑前や肥後など東北から九州までの地方官を歴任しました。晩年は、宮中で暴力事件を起こして左遷された友人の51番・藤原実方(さねかた)に同情して、ともに陸奥(みちのく:今の東北地方)に下り、実方の死後もその地にとどまり、長保2年(1000)頃に60歳余りで亡くなりました。また、奇人と言われた46番・曽禰好忠とも親交があり、河原院の和歌サロンにも出入りしていました。47番・恵慶法師とはとくに心が通じ合っていたらしく、重之が陸奥で子どもを失って悲しんでいた時に、お見舞いの歌が届いたそうです。旅好きであったと伝わり、家集「重之集」の詞書をみると、日本各地の風景を詠った歌が多く、旅の歌人と呼ぶにふさわしいでしょう。また、不遇を嘆く歌も多く、人間味を感じさせます。三十六歌仙の一人で、勅撰集に66首入首しています。 |
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●「ぬしやたれ 池も泉もむかしにて それかなきかに 君ぞ住みける」(河原院に住む安法(あんぽう)法師を初めて訪ねて行ったのは恵慶法師の方で、それ以後、法師の友人として親しくで出入りするようになりました。荒れはてた庭をながめながら、栄えていた昔をしのび、歌を詠み合ったそうです。「安法々師集」)
●「すだきけむ 昔の人も なき宿に ただ影するは 秋の夜の月」(ここに集まって騒いだろう昔の人も今はない宿に、影を見せるものと言ったら、ただ秋の夜の月ばかりである。「後拾遺集」河原院で詠んだ歌です。昔の人とはかつて華やかであった河原院に集まった人々のことです。)
●「草しげみ 庭こそ荒れて 年経ぬれ 忘れぬものは 秋の白露」(草が生い茂って庭も荒れ果てゝいるけれど、秋の白露だけは忘れないで昔と同じようにあることよ。「続古今集」河原院で詠んだ歌です。)
●「跡絶えて 荒れたる宿に 月見れば 秋の隣に なりぞしにける」(「恵慶集」河原院で詠んだ歌。)
●「わたのはら 潮みつほどの 浮島を さだめなき世に たとへてぞみる」
●「わが宿の そともにたてる 楢の葉の しげみにすずむ 夏は来にけり」(我が家の外に立っている楢の木、その葉繁みの蔭に涼む夏がやって来たのだ。「新古今集」「恵慶集」によると、46番・曾禰好忠の家集に見える百首歌(通称「好忠百首」)にこたえて作った百首歌の一首です。夏の季節を迎えた喜びを日常の暮らしの中にとらえた歌は、好忠の影響がうかがえます。) |
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●河原院は、京の東六条に14番・源融(みなもとのとおる)が作った豪邸。京都の北東、鴨川のほとりの五条大橋の近辺でした。奥羽の塩釜を模した大庭園で有名でした。しかし、恵慶法師の時代には荒れ果て、融のひ孫にあたる安法(あんぽう)法師が住んでいました。廃園を好む歌人たちがよく訪れていたそうです。荒れ果てた状態もまた風流と考えたのです。出世から取り残された下流貴族のたまり場になっていたのです。
●「源氏物語」の夕顔の巻で、源氏が夕顔を誘い出した「なにがしの院」は、河原院をモデルとしています。また、「葎(むぐら)の宿」については帚木(ははきぎ)の巻に「さびしくあばれたらむ葎の門に、思ひの外にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ限りなくめづらしくはおぼえめ」という一節があります。来ない男をずっと待ち続ける女の住む家だと考えると、物語世界が広がるようです。
●「今昔物語集」巻27の「川原院の融左大臣の霊を宇多院あらわしたまへること」と、「宇治拾遺物語」巻12の「河原院に融公(とおるこう)の霊住む事」には、河原院で宇多天皇(光孝天皇の子、源定省)の前に14番・源融の幽霊が現れる話です。また、同じく「今昔物語」巻27には、河原院に宿泊した男が、妻を鬼に殺された怪談があり、河原院が霊や鬼のすみかと考えられていたようです。 |
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●播磨国(はりまのくに:兵庫県)の国分寺の講師(こうじ=国の僧侶らの監督)として人々に仏典の講義をしていたといわれます。 |
●恵慶法師の友人、安法法師は曾祖父の14番・源融が造営した河原院の一画を寺として住んでいました。多くの人が訪れて荒れ果てた様子を漢詩文や和歌にしました。 |
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●河原院で眺めた秋の月の歌が残っています。 |
●河原院には融大臣の幽霊が出るといううわさがありました。能の演目「融」では、旅の僧が六条河原院でまどろむと、夢に融大臣が現れて舞い、夜明けとともに消え去るというものです。 |
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