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清原深養父
(きよはらのふかやぶ。生没年未詳、10世紀前後)
「日本書紀」の編者である舎人(とねり)親王の子孫といわれています。42番・清原元輔(もとすけ)の祖父、「枕草子」の作者でもある62番・清少納言の曽祖父にあたります。豊前介房則の子と言われますが、いろいろな説があります。あまり昇進しなかった人で、官位は従五位下・内蔵大允(くらのだいいん)でした。35番・紀貫之や27番・中納言兼輔と親交があり、琴や笛の名手でした。深養父の奏でる琴の音を聞いて、兼輔と貫之が歌を詠んでたたえています。技巧的でアイディアに富んでいながら、自然な趣のある歌を作る人だったようです。「古今集」に18首(17首)の歌が採用されています。家集に「深養父集」があります。晩年は洛北(らくほく:京都の北の郊外に補陀落(ふだらく)寺を建て、そこに住んだといわれています。また、人を笑わせるのが好きだったらしい逸話も残っています。存命中は高い評価を受けていましたが、55番・藤原公任の三十六歌仙に名をあげられなかったこともあって、この歌は平安末期まで秀歌の扱いを受けなかったようです。その後、83番・藤原俊成や84番・藤原清輔らに再評価され中古三十六歌仙の一人に撰ばれました。 |
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●「花散れる 水のまにまに とめくれば 山には春も なくなりにけり」(川に散りこんだ桜が隙間もなく流れてくる。これで山にあった春もなくなってしまった。「深養父集」)
●「冬ながら 春のとなりの 近ければ 中垣よりぞ 花は散りける」(冬なのに春はもうすぐ隣まで来ているので、垣根越しに白い雪花が散ってきましたよ。「古今集」立春に隣家から雪が風に吹かれて垣根を越してきたので贈った歌です。)
●「恨みつつ 寝る夜の袖の かわかぬは 枕の下に しほやみつらむ」(恨み続けて寝ている夜の私の袖が乾かないのは、枕の下から潮が満ちてくるように涙が満ちているからであろうか。「新古今集」)
●「恋ひ死なば たが名はたたじ 世の中の つねなき物と 言ひはなすとも」(私がこのまま恋い焦がれて死んでしまったなら、誰のせいだと評判が立つでしょう、あなた以外の誰でもありますまい。いくらあなたが「人の世は無常なもの」などと言ってごまかそうとしたって。「古今集」)
●「幾世へて のちか忘れむ 散りぬべ き野辺の秋萩 みがく月夜を」(何年経ってのち忘れるのだろうか。いずれは散ってしまうはずの野辺の秋萩を、さえざえとした月光によって磨きあげるように、色美しく見せるこの月夜を。「後撰集」)
●「冬ながら 空より花の 散りくるは 雲のあなたに 春はあるらむ」(冬でありながら空から花が落ちて来るのは、雲のかなたはもう春だというのだろうか。「古今集」雪を花に見立てています。)
●「光なき 谷には春も よそなれば 咲きて疾く散る もの思ひもなし」(光の射し込まない谷では春もよそごとなので、咲いてすぐに散る心配もありません。「古今集」時めいていた人が勢いを失い嘆く様子を見て、自分にはそのような嘆きも喜びもないことを思って詠んだ歌です。不遇の身を「光なき谷」にたとえています。) |
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●「後撰和歌集」 第4巻(夏歌)に、「夏の夜、深養父が琴ひくを聞きて」という詞書があり、27番・藤原兼輔と35番・紀貫之の唱和が見えます。琴の名手であった清原深養父の演奏を聴いて詠んだ歌です。兼輔「短か夜の ふけゆくままに 高砂の 峰の松風 吹くかとぞ思ふ」(短い夏の夜が更けてゆくにつれて、ますます趣深く響く琴の音を、まるで高砂の峰の松に風が吹きつける音かと聞いてしまいます。)貫之「あしびきの 山下水は 行き通ひ 琴のねにさへ 流るべらなり」(山のふもとを流れる涼やかな水が、まるで琴の音にのってこちらまで流れてくるみたいだ。)」
琴の音を、兼輔は「峰の松風か」といい、貫之は「山のふもとを流れる涼やかな水」と詠っています。 |
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●深養父の住まいは京都・大原に近い小野の里にあり、「やぶ里(さと)」と呼ばれていたそうです。また、「源平盛衰記」によると、晩年にはこの小野の里の近くに補陀落寺(ふだらくじ)を建てて住んだということです。深養父の山荘を寺に改めたのが始まりです。 |
●補陀落寺(ふだらくじ)は小町寺とも呼ばれ、境内に小野小町の供養塔があります。 |
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●琴の名手であった清原深養父の演奏を聴いて詠んだ歌があります。琴の音を、27番・兼輔は「峰の松風」といい、35番・貫之は「山のふもとを流れる涼やかな水」にたとえています。 |
●江戸時代の豪華な手書きかるたです(嵯峨嵐山文華館展示)。深養父は中古三十六歌仙の一人に選ばれてから、再評価されました。 |
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