プロフィール 中納言家持

中納言家持
(ちゅうなごんやかもち。718年頃~785年)

  奈良時代後期の人、大伴家持(おおとものやかもち)です。三十六歌仙の一人で、大伴旅人(おおとものたびと)の息子です。早く父親に死に別れ、叔母の坂上郎女(さかのうえのいらつめ)に育てられました。「万葉集」の編纂(へんさん)の中心人物であったと思われ、「万葉集」に一番多い473首の歌が収録されています。(「万葉集」巻17~20は家持の私家集のようになっています。)繊細で美しい和歌を得意とした人で、後の平安時代の詩歌に大きな影響を与えました。官人としては波乱に満ちた人生でした。従三位中納言(現在の国務大臣クラスの高官)になりましたが、藤原氏の勢力に押されて、謀反(むほん)に関わったとして左遷(させん)や解任(かいにん)されました。67歳頃に東北地方で亡くなった後まで、藤原種継(たねつぐ)の暗殺事件を中心になって企てたとされ、墓の中の遺骨が捨てられ、官位を奪(うば)われます。息子の永主(ながぬし)も隠岐国(おきのくに)へ流罪となりました。死後20年以上経過した延暦25年(806年)、恩赦(おんしゃ)を受けて、家持は従三位に復しています。
代表的な和歌
●「春の苑(その) 紅(くれなゐ)匂ふ 桃の花 下照(したで)る道に いで立つをとめ」(春の園の、紅色に美しく咲いている桃の花の、下まで照り輝く道に出て、たたずむおとめよ。[万葉集」)
●「わが屋戸(やど)の いささ群竹(むらたけ) 吹く風の 音のかそけき この夕べかも」(わが家のわずかな群竹に吹く風の音のかすかなこの夕方よ。「万葉集」)
●「うらうらに 照れる春日(はるひ)に ひばりあがり 心悲しも ひとりし思へば」(うららかに照る春の日にひばりが上がり鳴いているが、心は晴れ晴れとせず悲しいことだ、一人で思うと。「万葉集」越中から帰京後の歌。春の穏やかな日ざしと対照的に悲しい思いを詠んでいます。)
●「春の野に 霞(かすみ)たなびき うらがな しこの夕かげに うぐひす鳴くも」(春の野に霞がたなびきもの悲しい、この夕暮れの光の中にうぐいすが鳴くよ。「万葉集」)
●「新(あらた)しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)」(新しい年の初めの初春の今日降る雪のように、積もれよ良い事。「万葉集」の最後の歌で、天平宝字3年(759年)正月1日、42歳の作です。当時、因幡国(いなばのくに:鳥取県)の長官だった家持が、因幡国庁での朝拝の席上、詠みました。リーダーとして、皆の幸せを願う堂々とした歌です。)
●「もののふの 八十娘(やそをとめ)らが 汲(く)みまがふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花」(群れなすおとめが、くみさざめく寺井のほとりのかたかごの花よ。「万葉集」)
エピソード

●家持は天平18年3月、29歳で宮内少輔(しょうふ=律令制の省の次官)となり、6月には、越中守(えっちゅうのかみ)に任じられました。天平勝宝3年(751)に少納言となって帰京するまでの5年間、越中国(富山県)に在任しました。都から離れた寂しさはあったでしょうが、官人として、また歌人としては、生涯で最も意欲的で充実した期間でした。政治的な緊張から離れていたためか、歌風にも変化が生まれ、新しい境地を開いたようです。帰京後の昇進は遅く、正五位下に進むまで21年もかかっています。しかもその間、都と地方をめまぐるしく行き来しています。天平宝字3年(759)、因幡(いなば)国庁における新年の歌「新しき」を最後に、家持の歌は残されていません。42歳頃から後、歌を詠まなかったのかどうかもわかりません。
●家持の生涯で最大の業績は「万葉集」の編纂(へんさん)に加わり、全20巻のうち巻17~巻19に自身の歌日記を残したことです。「万葉集」の全歌数4516首のうち、家持の歌は473首を占め、万葉歌人中で第1位です。また、「万葉集」で確認できる家持の27年間の歌のうち、越中時代の5年間の歌が223首と多いことも特徴です。(それ以前の14年間は158首、以後の8年間は92首です。)越中守の居館は二上山(ふたがみやま)を背にし、射水川(いみずがわ)に臨む高台にあり、奈呉海(なごのうみ)・三島野(みしまの)・石瀬野(いわせの)をへだてて立山連峰を望むことができます。越中の四季の風物にふれて、独自の歌風を育んだと言われています。
●家持の過ごした平城京は、2017年秋に平城京跡歴史公園として整備されました。平城宮の正門・朱雀門や大極殿、東院庭園などが復元されています。 ●富山県高岡市は大伴家持が越中国守として、5年間在任した地です。この地で詠んだ歌は223首もあり、「玉くしげ 二上山に 鳴く鳥の 声の恋しき 時は来にけり」と詠んだ二上山に家持の銅像があります。また、「高岡市万葉歴史館」では、家持や「万葉集」にかかわる企画展が開かれています。 
●平城京跡歴史公園には家持が勤めた兵部省(奈良時代の防衛省)が復原され、資料館にも役所や宮殿内部を再現展示しています。 ●鳥取市にある稲葉山は国守・大伴家持も歌に詠んだ名勝で、新緑や紅葉時の自然散策を楽しめます。天平宝字2(758年)、因幡国守として現在の国府町へ赴任し、 翌年元旦に万葉集の最後を飾る歌を詠んでいます。付近には大伴家持ゆかりの古跡と歌を記念した、「因幡万葉歴史館」もあります。 ●平成に代わる新しい元号を、政府は4月1日の臨時閣議で「令和(れいわ)」と決め、菅官房長官が発表しました。「令和」の出典は日本最古の歌集「万葉集」です。家持は「万葉集」の編纂(へんさん)の中心人物であったと思われ、「万葉集」に一番多い473首の歌が収録されています。