プロフィール 元良親王

元良親王
(もとよししんのう。890年~943年)

 13番・陽成天皇の第一皇子。三品兵部卿(さんぽんひょうぶきょう)となりました。父の陽成院が光孝天皇に位をゆずったあとに生まれたので、帝位とは縁がありませんでした。「いみじき色好み」「一夜めぐりの君」などといわれた色好みで、美しいとうわさに聞く女性には必ず手紙を送ることで知られた人でした。風流で情熱的で、多くの恋愛遍歴が伝わることから「源氏物語」の光源氏のモデルの一人ともいわれています。京極御息所(きょうごくのみやすんどころ)や、宇多法皇の女御藤原褒子(ほうし:藤原時平の娘)との熱愛が広くうわさになりました。宇多法皇は、父が位をゆずった15番・光孝天皇の息子です。恨みの気持ちがその妻との密通につながったのでしょうか。家集「元良親王集」には、名前が残っているだけでも30人以上の女性との贈答歌が収められています。「徒然草」には「李部王記(りほうおうき)」が伝える話として、元良親王の元日の奏賀(そうが:群臣の代表が天皇に賀詞を申し上げること)の声がたいへん立派で、大極殿から鳥羽の作道(羅城門の外)まで響き渡ったということが紹介されています。
代表的な和歌
●「世にあれば ありと言ふことを きくの花 なほすきぬべき 心地こそすれ」(世にある限りは、長寿をかなえてくれると聞く菊の花をやはり飲まずにはいられない気持がしますよ。私も出家せずにいるので、あなたがまだ亭子院におられると聞けば、やはり恋い慕わずにはいられない気持ちですよ。「元良親王集」九月九日の重陽の節句には観菊の宴が催され、不老長寿を祈って菊の花を浮べた酒を飲みます。酒を飲まずにいられない意味に、京極御息所との恋に落ちずにいられない意味をかけています。)
●「朝まだき おきてぞ見つる 梅の花 夜のまの風の うしろめたさに」(朝早く起きて梅の花を見たことだ。夜の間の風に散ったのではないかと心配で。「拾遺集」)

●「来(く)や来やと 待つ夕暮と 今はとて かへる朝(あした)と いづれまされり」(来るか来るかと待つ夕暮と、今はもうと言って帰る朝と、どちらの方が辛さはまさるでしょうか。「後撰集」恋人のもとに、どんな返事をするかと興味を持って贈った歌です。)
●「あまたには 今も昔も くらぶれど ひと花筐(はながたみ) そこぞ恋しき」(今の女も、昔の女も、たくさんの女とあなたを較べるけれど、花かごのように可愛いのはあなた一人だけだ。「元良親王集」)
●「花の色は 昔ながらに 見し人の 心のみこそ うつろひにけれ」(花のような美しさは昔のままに見えた人であるが、その心だけは移ろってしまったのだなあ。「後撰集」)
エピソード
●「今昔物語」巻24第54には、「いみじき好色にてありければ、世にある女の美麗なりと聞こゆるは、会ひたるにも未だ会はざるにも、常に文を遣るを以て業としける」(たいそうな色好みでいらっしゃったので、当時の女性で美人との評判を聞くと、すでにかかわりを持った人にも持たない人にも相手を選ばず、常に恋文を贈るのを仕事のようにしておられた。)と書かれるほどでした。江戸時代の史書「大日本史」にも「倭歌を好み、はなはだ色を好む」という記述があります。
●「大和物語」にも故兵部卿宮として6話あり、色好みの宮として伝説化されていたようです。90段には元良親王の「訪ねていこう」という手紙に対して、女性の返歌があります。「たかくとも なににかはせむ くれ竹の ひと夜ふた夜の あだのふしをば」(ご身分がどんなに高くても何になりましょうか。一夜二夜のかりそめの契りでは。)また、106段、107段には元良親王が訪ねて来なくなって、悲しむ女性の歌が詠まれています。
◆「ふればこそ 声も雲居に 聞こえけめ いとどはるけき 心地のみして」(互いにこの世に生きているからこそ、私が声をふりたてて泣く声も宮中に聞えたのでしょう。ますますあなたが私から遠く離れた心地ばかりして悲しいです。)
◆「あふことの 願ふばかりに なりぬれば ただにかへしし 時ぞ恋しき」(お逢いすることも、こちらからお願いする一方になってしまいましたので、逢わずにお帰しした頃が恋しく思われます。) 
●「一夜めぐりの君」として有名な元良親王は、いろいろな説話集に恋愛話が紹介されています。逢いに行った女性をあげてみましょう。「わびぬれば」の歌を贈った宇多天皇が愛した京極の御息所(藤原時平の娘・褒子)。承香殿(しょうきょうでん)の御息所(みやすんどころ)に仕えていた中納言の君という女性。承香殿は平安京内裏十七殿の一つです。 ●14番・河原左大臣の次男である昇(のぼる)の大納言の娘。
●枇杷左大臣(藤原仲平)に仕えていた女性・岩楊(いわやなぎ)。京都御苑内に仲平が父から伝領した枇杷殿の跡があります。 ●志賀の山越えの道の途中の、岩江というところに風流な家を建てて、志賀寺に参詣する女性を眺めていたそうです。