プロフィール 喜撰法師

喜撰法師
(きせんほうし。9世紀後半、800年代)

 六歌仙の一人。「古今集」仮名序に「宇治山の僧」と伝えられるのみで、世間から離れて宇治山でひっそり暮らしていたことは確かですが、経歴は不明です。喜撰は「紀仙」で、古代豪族の紀氏一族の人物とする説、役(えんの)行者系統の道術士だとも言われています。作品として確かなのはこの一首のみです。「元亨釈書(げんこうしゃくしょ: 鎌倉時代末期の仏教史書)」には、窺仙(きせん)という僧が宇治山で、不老長寿(ふろうちょうじゅ)を求め仙薬(せんやく)を飲むなどの修業をしたと記され、最後には仙人となり雲に乗って天上に去ったという説話まであります。また、15番・光孝天皇の勅命(ちょくめ:命令)により、歌学書「倭歌(わか)作式」(「喜撰式(きせんしき)」)を著したと伝えられていましたが、これも平安中期の偽書(ぎしょ)とみる説が有力視されています。
代表的な和歌
なし。「古今集」仮名序に「よめる歌多くきこえねば、かれこれをかよはして、よく知らず」(喜撰の歌はたくさん知られていませんので、あれこれと参照して、十分に検討することができません。)記されています。 
●「木の間より 見ゆるは谷の 蛍(ほたる)かも いさりに海人(あま)の 海へ行くかも」(木々の間から見えるのは、谷間を飛び交う蛍の光かなあ。それとも、魚を捕りに漁師が海へ出て行く、その漁火(いさりび)なのかなあ。「古今和歌集目録」「玉葉集」に、基泉法師の作として載せている歌です。喜撰法師と同一人物であるかは不明です。)
エピソード

●喜撰といえば「宇治」、宇治は茶の産地で、喜撰は茶の銘柄にもなりました。上等の茶・「喜撰」を「上喜撰」と言ったりします。幕末に黒船が来た時の狂歌が有名です。「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯で 夜も寝られず」 4隻の蒸気船と4杯の上喜撰をかけたものです。
●鴨長明の歌書「無名抄(むみょうしょう)」に「御室戸(みむろど)の奥に二十余町ばかり山中へ入りて、宇治山の喜撰が住みける跡あり。家はなけれど、堂の石ずへなど定かにあり。此等必ず尋ねて見るべき事也」と記しています。この庵は87番・寂蓮法師も何人かと訪れて歌を詠み合っています。「寂蓮集」の一首に「嵐吹く むかしの庵の あとさえて 月のみぞ澄む 宇治の山本」があります。
●宇治は宇治茶で有名な京都府宇治市のこと。鎌倉時代に唐から渡ってきた茶の種を、明恵というお坊さんが宇治に広め、宇治茶ができました。宇治茶の銘柄「上喜撰(じょうきせん)」は、宇治に住んでいた喜撰法師にちなんで名づけられ、江戸時代には全国に知られていました。 ●宇治は、古くから俗世間を離れたリゾート地として、貴族の別荘が多く建てられました。この朝霧橋の向こうに宇治平等院があります。
●江戸時代には「百人一首」をもとにした狂歌が流行しました。喜撰法師の歌は「わが庵はみやこの辰巳午ひつじ申酉戌亥子丑寅う治」ともじって作られています。 ●「源氏物語」の宇治十帖が世に出ると、普通の人は近づかない寂しい場所というイメージが定着しました。この像は浮舟と匂宮が小舟の上で愛を語り合う場面をモチーフにしています。 ●現在、宇治川周辺はたくさんの人が訪れる観光地となっています。