プロフィール 春道列樹

春道列樹
(はるみちのつらき。生年不祥~920年)

 主税頭(ちからのかみ)、一説には雅楽頭(うたのかみ)であった新名宿禰(にいなのすくね)の子。延喜10(910)年、文章生(もんじょうしょう:大学寮で詩文・歴史を学ぶ学生。今でいうと大学院の研究者)になり、920年に壱岐守(いきのかみ)に任命されますが、赴任する前に亡くなりました。歌人としては有名ではなく、家集もありません。「古今集」に3首、「後撰集」に2首のみ入集していて、知的技巧を好み、軽快な調べの中に現実をとらえた作品は魅力的です。「古今集」入集当時は30歳前後で、35番・紀貫之と同世代の歌人です。
代表的な和歌
●「昨日といひ 今日と暮らして 飛鳥川 流れてはやき 月日なりけり」(昨日はどうだった、今日はこんなふうだった、明日はどうしようといいながら一日一日を暮らしていくのだ、あすの語にも似た飛鳥川の流れが速いのと同じに、月日の流れもそれと少しも変わらない。「古今集」飛鳥川は流れが変わりやすいものとして平安時代には世の移り変わりの多いことに例えられました。)
「わがやどの 花にな鳴きそ 喚子鳥 よぶかひありて 君も来なくに」(「後撰集」の詞書「よぶこどりを聞きて、隣の家に贈り侍りける」とあり、隣の家には心やすい友が住んでいたのでしょうか。)
●「数ならぬ み山隠れの 郭公(ほととぎす) 人知れぬ音(ね)を なきつつぞふる」(物の数でもない我が身は山に隠れているほととぎすのようなもの。誰にも知られないような声でこっそり泣きながら過ごしております。「後撰集」の詞書に「得がたかるべき女を思いかけて」とあり、身分違いの恋なのでしようか。)
●「梓弓(あづさゆみ) ひけば本末(もとすゑ) わが方に よるこそまされ 恋の心は」(梓弓を引くと、その両端が私の方に寄るが、恋人は私に寄ってくれないので、まさにその夜だ、恋心が一段と激しくなるのは。「古今集」寄るを夜に掛けています。)
エピソード
●春道氏は、物部氏(もののべし)の一族です。「日本書紀」によると、河内国の哮峰(たけるがみね:現・大阪府交野市あたりと思われます)に天皇家よりも前に天孫降臨したとされる饒速日尊(にぎはやひのみこと)を祖先と伝えられる氏族です。列樹については逸話も伝えられておらず、有方・有近・仲方と3人の子ともがいたようです。
●列樹の歌は「山川に」の歌以外に、「古今集」に2首とられています。「飛鳥川」は、奈良県飛鳥地方を流れ、大和川に注ぐ川です。 ●「梓弓(あづさゆみ)」は梓の木で作った弓です。「張る」「春」などの枕詞にも用います。
●嵯峨嵐山文華館には、百人の歌人の人形が展示してあります。写真は春道列樹の人形です。 ●小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野では、100基の歌碑めぐりを楽しめます。「山川に」の歌碑は、亀山公園にあります。