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猿丸大夫
(さるまるたいふ。生没年不詳)
三十六歌仙の一人ですが、「古今集」の真名序(漢文による序)には「古猿丸大夫」とあるので、奈良時代以前の伝説の歌人です。平安時代の書物にも、すでに「何(いず)レノ世ノ人トモ知レズ」と記されています。「大夫」は、貴族の官位である「五位」の通称です。元明天皇の頃の人、光孝・宇多天皇以前の人など、諸説(栃木県の二荒山神社の神官を代々務める小野氏の祖とする説、3番・柿本人麻呂説、天武天皇の皇子、聖徳太子の孫弓削皇子説、弓削(ゆげの)道鏡説など)が多く、謎の人物です。想像上の人物ではないかという見方もあります。この歌も、「古今集」では題知らずよみ人知らずとして紹介されています。また、土地や神社に猿丸の名を付けた例なども全国に多いようです。 |
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なし。平安時代に編まれた「猿丸太夫集」は、50首余りの小歌集です。「万葉集」の古歌と「古今和歌集」のよみ人知らずの歌を後世の人が寄せ集めたものです。確実に本人が作ったことが明らかな歌は一首もありせん。55・藤原公任が三十六歌仙に猿丸大夫を入れたこともあって、定家は不審なことを承知で作品を優先して百人一首に採ったようです。 |
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●鴨長明は度々猿丸の墓について述べています。「方丈記」では「粟津の原を分けつつ、蝉歌が翁が跡をとぶらひ、田上河をわたりて、猿丸大夫が墓をたづぬ。」(粟津の原を通って、蝉丸の旧跡をたずね、田上川をわたって猿丸大夫の墓に参ることもある。)とあり、歌論書「無名抄(むみょうしょう)」には「田上(たなかみ)の下に曽束(そつか・現在の滋賀県大津市)といふ所あり。そこに猿丸太夫が墓あり」と記しています。 |
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●猿丸の墓は宇治から大津へと抜ける山中にあったらしいです。現在はその付近に猿丸神社があります。「猿丸さん」とも呼ばれています。狛猿(こまざる)をさすった手で自分の身体をさすると、さすったところは病気にかかりにくいということです。「奥山に」の歌碑と、百人一首のカルタをデザインした絵馬もあります。 |
●石川県金沢市笠舞(かさまい)にも猿丸神社があります。猿丸太夫を祭神とし、笠舞の地名も猿丸太夫がかぶっていた笠が風のため急に舞いあがったのを見て名付けたと伝えられています。 |
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●「奥山」を兵庫県芦屋市の地名「奥山」と解釈する説があります。芦屋神社には、鎌倉時代建立の猿丸大夫の墓といわれる宝塔があります。 |
●京都府綴喜(つづき)郡宇治田原町は、井沢元彦が江戸川乱歩賞を受賞した小説、「猿丸幻視行」の舞台です。 |
●三重県四日市市宮妻峡は紅葉の名所として有名です。「もみじ谷」には、猿丸大夫の歌碑があります。 |
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